土壌の役割とその地球規模での変化

国立研究開発法人 農業環境技術研究所(NIAES) 研究コーディネータ 八木一行

1.はじめに

 土壌は、私たちを取り巻く環境を構成する主要な要素のひとつである。しかし、他の主要環境要素である大気や水に比べると、その価値に対する一般の認識は必ずしも高くないように思われる。

 これは、大気や水については、それぞれ呼吸や飲料として、人間が常に、直に接している一方、土壌と人間との接点は、そこで生産された食料やその上に築かれた構造物を通した、間接的なものにしか過ぎないからかもしれない。また、多くの場合、土壌は植生や建造物に覆われて見えにくいことも、その理由のひとつであろう。しかし、この地球全体の陸地の表層を薄く覆う土壌は、さまざまな生物に生存の場を与え、植物生産の土台となり、人類には農業生産を通して食料を供給している。土壌がなければ、陸上の豊かな生態系も、人類文明も成り立たない。

 人類文明の歴史は、常に、この重要な環境要素である土壌に対して大きな圧力を与え、資源として、その価値を消耗し続けてきた。このことから、「土壌の危機」 が常に叫ばれ続けた。古くは、土壌の劣化と古代文明の衰退の密接な関係が指摘されている(たとえば、V. G. カーターとT. デール, 1995)。人間活動の環境への圧力が最大値に達している現代では、世界の穀倉地帯における風や水による侵食、乾燥地における塩類集積や砂漠化、熱帯林におけるその伐採に伴う有機物の分解、さまざまな有機・無機物質による汚染など、世界各地で不適切な管理による土壌劣化が認められている。そして、今、世界の土壌が、今後も増加を続ける世界人口に十分な食料を供給できるかどうか、重大な疑問が投げかけられている。


2.土壌の役割

 人類に対する土壌のもっとも重要な役割は、いうまでもなく、72億を超える世界の人口を養うために食料生産の場を提供し、そこで栽培される作物に水と養分を供給することである。水産物や一部の作物を除いた、世界の食料の実に95%が土壌を基盤として生産されている。それ以外に、土壌は、水、大気、生物多様性、物質循環といった、さまざまな生態系サービスを提供する役割を果たしている。

 土壌は地球上の水の保全に対して、重要な場を提供している。地表に降り注ぐ降雨の約60%は蒸発散によって、大気へ戻って行くが、残りの約40%は河川へ流出し、または土壌に浸透して、地下水として海洋に到達する。その間、土壌は巨大な水の貯蔵庫としての役割を果たし、河川への流出に対する干渉機能を発揮するとともに、生物の成育に不可欠な水を供給する。また、土壌を浸透する間に、多くの汚染物質は土壌の吸着・分解機能によって除去され、良好な地下水の水質を保障する。

 また、土壌の吸着・分解機能は大気中の汚染物質に作用し、生態系において、さまざまな大気微量物質が土壌によって除去されている。この機能を利用して、自動車などから排出される窒素酸化物(NOx)や浮遊粒子状物質を、土壌によって除去する技術が実用化されている。さらに、土壌は光合成によって固定された二酸化炭素(CO2)を有機物として蓄積することによって、大気CO2濃度の調節、すなわち、地球温暖化の緩和にも寄与している。これは、落葉や植物の枯死体などが土壌に還元され、その一部が安定な腐植として長期間にわたり、土壌に蓄積されることによるものである。全世界の土壌表層1mに蓄積されている炭素量は約1兆4000万トンと推計されているが(IPCC, 2006)、これは全世界で放出される人間活動起源のCO2の27年分に相当する。

 土壌の生物多様性に果たす役割については、一般には十分に認識されていないかもしれない。しかし、手のひら一杯の土壌(10g)には、約100万種におよぶ約100億個のバクテリア細胞が含まれている(Gans et al., 2005)。土壌中に生息する動物種の数は約40万に上り、これらと菌類、植物を含めると、土壌中に生息する生物種の数は、地球全体の約25%に相当すると考えられる(Decaens et al., 2006)。そして、これらの土壌生物は、生態系の分解者として、炭素、窒素、リン、硫黄といった、主要元素の循環を司る重要な役割を果たしている。


3.世界の土壌劣化の現状

 現在進行しつつある地球規模での土壌の変化は、増加し続ける人口と拡大し続ける経済活動が、土壌への負荷を増加することによって、引き起こされているものである。その結果、上記の土壌の役割、すなわち生態系サービスの機能を低下させていることが指摘されている。

 国連環境計画(UNEP)は、1990年代に、世界の土壌劣化の現状をとりまとめ、地域別の土壌劣化面積を推計するとともに、世界地図(図1)として公表した(Oldeman et al., 1991; GRID-Arendal, 2008)。この推計によると、世界の農地土壌面積の38%に劣化が認められ、とくに中央アメリカ、アフリカ、南アメリカ地域の劣化が激しいことが報告されている。安定した土壌の分布は、カナダやシベリアなどの非農地などに限定されている。

図1 世界土壌劣化地図
図2 世界における土地の劣化の現況と傾向 グラフ

 さらに、国連食糧農業機関(FAO)は、『食料と農業のための世界土地・水資源白書(SOLAW:The State of the World's Land and Water Resources for Food and Agriculture)』を、2011年に発表している。それによれば(図2)、世界の土地の25%が「著しく劣化」していて、「軽微に、あるいは中程度に劣化した」土地(図のタイプ2とタイプ3)は44%、「改良途上にある」土地は10%に過ぎなかった。

図2 世界における土地の劣化の現況と傾向
図2 世界における土地の劣化の現況と傾向 グラフ

 後述する「地球土壌パートナーシップ(GSP::Global Soil Partnership)」の科学諮問組織である「土壌に関する政府間技術パネル(ITPS:Intergovernmental Technical Panel on Soils)」は、包括的な世界の土壌の現状に関する報告書『世界土壌資源報告書(Status of the World's Soil Resource report)』を本年12月に発表する予定である(ITPS, 2015)。そこでは、世界各国の土壌の専門家によって、世界の土壌劣化をもたらす脅威に対し、最新の状況とその対策に関する評価が行われている。


4.さまざまな土壌劣化の脅威

(1)土壌侵食

 世界の土壌に対する、もっとも重要で、顕在化している脅威は土壌侵食である。『世界土壌資源報告書』において、土壌侵食はすべての土壌への脅威のうち、もっとも深刻なものであると指摘されている(ITPS, 2015)。

 土壌侵食には、降雨、融雪水、流水など水の作用に起因して土壌が流亡する水食と、風の作用によって土壌が飛散する風食とがある(写真1、2)。このうち、水食によって失われる土壌は、全世界合計で1年当たり200億〜300億トンと推計されている。これは、岩手全県の表層1mの土壌の量に相当する。風食による土壌の損失量の推計値には不確実性が大きいが、水食による損失量の10分の1程度であると考えられている。

写真1 北海道根釧台地における、降雨、流水による土壌侵食(水食)
(提供:農業環境技術研究所 神山和則)
写真1 北海道根釧台地における、降雨、流水による土壌侵食(水食)

写真2 茨城県つくば市における、風による土壌侵食(風食)
(提供:写真1に同じ)
写真2茨城県つくば市における、風による土壌侵食(風食)

 一般に、耕起を伴う農地としての土地利用は土壌侵食が生じやすく、とくに、降雨量の多い地域や傾斜地はその脆弱性が高い。現在進行している土壌侵食は、世界の食料生産の増加を毎年0.3%の割合で抑制していると推計されている。この状態が2050年まで継続すると、食料生産の損失は約10%に達すると推計されている(Foley et al., 2011)。


(2)土壌炭素と生物多様性の損失

 土壌への有機物還元の乏しい農業生産体系や開発地への転用によって、土壌の炭素含量と生物多様性は減少する。このことは土壌の肥沃度低下をもたらすことから、世界の食料生産にとって重大な脅威となる。また、土壌の有する物質循環機能や大気CO2濃度の調節機能を低下させる。19世紀半ばからの人間活動の拡大は森林伐採、農地の拡大、そして都市化によって、土壌炭素を消耗し続けてきたと考えられ、その量は現在までに500億〜800億トン炭素に上ると推計されている(ITPS, 2015)。これは、世界の表層1mの土壌炭素量の4〜5%に相当するものであって、現在の化石燃料によって排出されるCO2の6〜9年分に相当する。

(3)養分の不均衡

 世界の農地土壌の養分状態には、「不足」と「過多」の両極端の地域が存在する。不足状態の土壌は開発途上国にみられ、肥料投入の限られた状態での作物栽培によるもので、持続的な作物生産を困難とする。一方、化学肥料や家畜糞尿(ふんにょう)の多量投入による土壌への窒素やリンの蓄積は、先進国や新興国の農地でみられ、大気や水系の汚染を引き起こしている。

(4)化学的劣化(酸性化、塩類集積、化学物質汚染)

 土壌の化学性の変化によって、引き起こされる酸性化、塩類集積、化学物質汚染は世界各地で広くみられ、いずれも、ある一定値を超えると、作物生産に深刻な影響を与える脅威である。

 酸性化は、土壌中の塩基が降水によって、溶脱されるとともに、肥料や大気降下物からの酸性物質の負荷によって引き起こされる。

 塩類集積には自然要因と人為要因の両方があり、この問題のある土壌は世界の100か国以上に存在する。とくに、乾燥地域における問題は深刻で、不適切な農地管理による塩類集積によって、放棄された農地が世界の各地にみられる。

 化学物質による汚染は、重金属、有機溶剤、農薬など多様であり、さまざまな原因によって、引き起こされる。農業生産においては、消費者の健康と食品の貿易のため、カドミウムやヒ素などの重金属、過去に使用された農薬などによって発生する残留性有機汚染物質(POPs)による汚染を低減することが、喫緊の課題となっている。2011年の東京電力福島第一原子力発電所の事故による土壌の放射性物質汚染は、容易ならざる問題といえる。

(5)その他の脅威

 その他、農耕の継続と耕作機械の使用による土壌圧密、洪水や津波による土壌の湛水も世界各地で増大していると考えられ、農業生産への影響が指摘されている。また、過放牧や薪炭材採取による植生の減少は、侵食などの土壌劣化を引き起こす原因となっている。

 さらに、都市化や開発に伴い、土壌が建造物やアスファルト舗装などによって、その表層が覆われ、本来の土壌の機能が損なわれる土壌被覆の問題も、土壌劣化を引き起こす脅威である。全世界合計の土壌被覆面積は、毎年、ほぼ三重全県の面積に相当する5万8000km2に及ぶものと推計されている(ITPS, 2015)。


5.適切な土壌管理に向けた国際的な取組

 世界各国において、直接の影響を受ける農民や専門家の間では、これまで述べてきたさまざまな土壌劣化の脅威が認識され、土壌保全の対策が進められている。すでに、1935年に土壌保全法を制定したアメリカのように、政府主導で土壌保全に取り組んできた国も多い。

 わが国においても、1950年代から全国規模での農地土壌のモニタリング事業が実施されるなど、政府主導の取組も行われている。しかし、土壌劣化の被害の深刻な開発途上国では、政府の財政難や家族経営農家の多くが貧困状態にあることから、継続的な土壌保全対策の実施が困難である。また、わが国を含めた多くの政府では、土壌に対する優先度の低さから、その保全対策に執行される予算は限られている。

 これらの背景から、地球の土壌資源を保障するための新たな国際協力の枠組みである「地球土壌パートナーシップ(GSP)」が、国連食糧農業機関の主導によって、2011年9月に立ち上げられた。GSPの目的は、地球の限られた資源である土壌の健康的かつ生産的な維持管理を保障するために、世界各国の関係者による国際協力の促進を図ることであり、土壌の持続的な管理の推進、そのための啓発活動、土壌研究とデータの共有化を記した活動計画が提示されている。また、2013年12月に行われた国連総会において採択された世界土壌デー(12月5日)と国際土壌年(IYS2015:International Year of Soils 2015)は、GSPが国際社会に呼びかけてきたもので、その活動の最初の成果といえる。

 GSPでは、さらに、IYS2015に合わせて、1981 年にFAO が制定した「世界土壌憲章(World Soil Charter)」を改訂し、各国政府に対し、土壌保全のための新たな行動を求めている(FAO, 2015)。そこでは、「人間が土壌資源にかける圧力が限界に達しようとしている」ことを明記し、「注意深い土壌の管理が、持続的な農業生産とさまざまな生態系サービスにとって、必要不可欠なもの」であり、食料安全保障、貧困の撲滅、女性の社会的地位向上、気候変動への対応(適応と緩和)といった、現在の地球社会が対応を迫られている多くの課題の解決に寄与することを認めている。そのために、個人、団体、研究コミュニティ、および各国政府が取るべき行動の指針が示されている。


<引用文献>
カーター(Carter, V.G.)・デール(Dale, T.),山路 健(訳)(1995).『土と文明』,家の光協会
Decaens, T. et al. (2006). The values of soil animals for conservation biology. Eur. J. Soil. Biol., 60: 807-819.
FAO (2011). The State of the World’s Land and Water Resources for food and agriculture (SOLAW).- Managing systems at risk.
FAO, Rome and Earthscan, London.FAO (2015). Revised World Soil Charter. http://www.fao.org/documents/card/en/c/e60df30b-0269-4247-a15f-db564161fee0/
Foley, J.A. et al. (2011). Solutions for a cultivated planet. Nature, 478, 337-342.
Gans, J. et al. (2005). Computational improvements reveal great bacterial diversity and high metal toxicity in soil. Science, 309: 1387-1390.
GRID-Arendal (2008). http://www.grida.no/graphicslib/detail/global-soil-degradation_9aa7
IPCC (2006). 2006 IPCC Guidelines for National Greenhouse Gas Inventories, Prepared by the National Greenhouse Gas Inventories Programme, Eggleston H.S., Buendia L., Miwa K., Ngara T. and Tanabe K. (eds). Published: IGES, Japan.
ITPS (2015). Status of the World’s Soil Resource report. FAO, Rome.
Oldeman et al. (1991). World Map of the Status of Humaninduced Soil Degradation (GLASOD): An Explanatory Note, International Soil Reference and Information Centre, Wageningen.

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