特集解題
今号では、「人類を養う土壌」を特集のテーマとした。 それは、本2015年が国連により、「国際土壌年」と決められ、その設定目的のなかにおいて、土壌は、食糧安全保障、気候変動への適応と緩和、貧困撲滅、持続的発展等に寄与することが謳(うた)われていて、ARDEC企画委員会においても、農業関係の海外情報誌を標榜する本誌の特集に相応しいテーマであるとの意見の一致をみたからである。 12月5日が世界土壌デーとされていることもあり、2015年が終わっても、「国際土壌年」の精神は今後も継続されるべきものであり、今回の特集が啓発普及の一助になれば幸いである。 OPINION 人間と土壌 農業工学研究所・東京大学などにおいて、長きにわたり、土壌の理論的な研究に携わり、多くの業績を上げてきた筆者が、経験に基づく深い洞察力を踏まえ、「人間と土壌」という、ある意味で根源的・哲学的でもある問題について、その不可分の絆や重要性に迫っている。 とくに、筆者の研究人生のきっかけとなった砂丘地での水分移動に関する不思議な現象の解析や、物理を学んだ者なら誰でも知っているキルヒホッフの電気の理論と、物質移動の理論に共通点があるというのは、誠に興味深い話である。 さて、次いでKey Noteのそれぞれに関して、言及してゆく。 土壌の役割とその地球規模での変化 私たちの周りに普遍的に存在する土壌の役割について、これまで必ずしも十分な注意が払われてこなかったとの認識に立ち、食料生産、物質循環、水の保全、汚染物質の除去、土壌炭素を蓄積することによる地球温暖化の緩和、生態系サービス機能など重要な役割について解説している。 また土壌劣化の原因として、土壌侵食をはじめとして、さまざまな要因について説明し、土壌劣化が世界的に広がっている現状に対して、警鐘を鳴らしている。 土壌劣化の脅威に対抗するために、アメリカをはじめとして、世界各国で土壌保全の対策が進められているが、国際協力の枠組みとして、「地球土壌パートナーシップ(GSP)」 などの活動を紹介している。 アフリカの土壌特質と地力改善 世の中、ものごとを別の視点から眺めると全く別の世界が見えてくることがままある。 アフリカにおいては農業の近代化が遅れたわけではなく、「焼畑/ブッシュ休閑システム(SBシステム:Slash-and-burn / Bush fallow system)」と呼ばれる現地の気候風土に適合した「自然と人との共生空間」が成立してきた。「長い休閑期間を織り込んだ極めて粗放的な農業」とでも、いえばよいのか、そのような自給的農業が行われてきたのである。 国連食糧農業機関(FAO)による「森林」あるいは「農耕地」のいずれの定義からも、抜け落ちてしまうSB地帯に、今後、国際社会がどのように関わっていくのか対応が迫られている。 乾燥地における塩類集積の脅威と対策 土壌劣化の大きな要因である「塩類集積」について概説し、温帯モンスーンに位置する日本ではあまり問題にならない塩類集積が、世界では乾燥地域を中心に広大な面積に影響を及ぼしていることを指摘している。 とくに問題なのは、乾燥地で持続的農業を行うのに不可欠な灌漑(かんがい)が、その原因になりうることである。食糧安全保障の面からも、対策を講ずべき喫緊の課題である。 世界の塩類集積を調査してきた筆者が、塩類集積の類型を紹介するとともに、塩類土壌の事例として中央アジア・アラル海流域の灌漑農場の実態を報告している。さらに、塩害の予防・防止と修復の対策を示すとともに、後者は極めて困難なことから、前者に力点を置くべきであると主張している。 農地土壌の有機物管理による 土壌中の炭素を増加させ、適切な土壌管理を行うことは、農地の生産力の維持増進にとっても、地球温暖化の緩和にとっても、極めて重要である。 一方で、「土壌中の炭素を増加させる」というのはそれほど簡単ではないようだ。炭素を含む有機物の量や質の増減に加えて、土壌有機炭素自体が、二酸化炭素の吸収源になったり、排出源になったりするからである。 本稿では、そのメカニズムを概説し、広汎で複雑な土壌炭素動態について、モデル化による予測手法があることを示し、それらの評価を行っている。 サブサハラ・アフリカ在来リン資源の活用による 植物の生育に不可欠なリンが、世界の農耕地の約30%で欠乏状態にあるとされている。とくにアフリカや中南米においては、それが顕著であるにもかかわらず、価格などの要因によって、リン酸肥料の施用が進まない。 サブサハラ・アフリカ(サハラ砂漠以南のアフリカ)では、各地にリン鉱床が確認されているが、その多くはリン酸含量やその溶解度が低い「低品位リン鉱石」である。 低品位リン鉱石の活用に当たっては、物理的、生物的、化学的溶解度の向上(可溶化)が考えられるが、それぞれの特性について紹介している。 国際農林水産業研究センター(JIRCAS)では、リン可溶化技術をはじめとして、リン鉱石の有効活用に取り組んできたが、今後もブルキナファソ政府と共同研究を継続していく。 ペルー、インカ文明の経済基盤となった 日本では近年、「棚田サミット」や「棚田百選」などにみられるように、棚田が高い評価を受けるようになったが、バリ島(インドネシア)*やバナウエ(フィリピン)の棚田景観なども世界的に有名である。 アンデスの段々畑「アンデネス」については、これまであまり報告されたことはないように思うが、筆者はインカ帝国の時代にアンデネスが急速に拡大したことに触れ、気候風土や当時の政治体制についても分析を加えている。 歴史的遺産というだけでなく、景観・地域・農業の維持、そして土壌の保全という面からも、その再生・保全・継承が重要であると指摘している。 本文の写真はモノクロだが、カラーで見る写真が素晴らしい。アンデネスの価値を広めるために、筆者は世界各地の関連団体と交流を深めている。 江戸時代から受け継がれる土壌作り ─埼玉県三富新田─ 江戸時代初期に開拓された三富新田は、整然とした地割りや景観が今でもよく保全され、「川越いも」の産地ともなっている。間口が狭く、奥行きの長い短冊形のユニークな地割りは、屋敷地、耕作地、雑木林と分かれており、雑木林の落ち葉を堆肥として活用する循環型農業を支えてきた。 これまで三富新田の循環型農業を支援する取組が、行政や周辺の大学によって、地域ぐるみで行われてきたが、筆者は、循環型農業という「土の叡智(えいち)」を未来へ残すには、どうすればよいのかという問題提起をするとともに、いくつかの課題を指摘している。 |