『繁栄』
─ 明日を切り拓くための人類10万年史 ─
「人類がこの地球上のどこかで続く限り、文化は進化し、その結果、繁栄は拡大する」と、著者はまさに『The Rational Optimist』という原タイトルに相応しく、一貫して「太陽のごとく明るい楽観主義」を提示し続けている。著者は現在の「経済的悲観主義の時代」において、波乱に富んだ文化的変化の問題について考える人がいないことに驚いていた。熟練の経済学者たちが、『繁栄』とは何かを定義したり、なぜ人類は『繁栄』してきたのかを考えたりすることに、少しも好奇心を示さないことを残念に感じてきた。そこで、自身の好奇心を満たすために、この膨大な情報量の詰まった本書の執筆を思い立ったのである。 アフリカと日本を何度も往復してきた私は、著者の視点に共感した。人類にとって幸せとか何か?『繁栄』とは何か?世界最貧国と呼ばれるアフリカの農村部において、どんなに厳しい環境のなかで生活していようとも、陽気に歌って踊り、底抜けに明るい笑顔を見せてくれる女性や子どもたちを横目に、何度不思議に思ったことか。本書は、その答えを一緒に考えてくれた。 著者自身が述べているように、本書は「合理的な楽観主義の見地から世界は現在の危機を脱することを予測し、人類の将来について楽観を抱くべき強力な理由を検証するためであり、文化的変化の利点について書かれた本」である。 はじめに、著者は、楽観主義者であることは、地球上の10億人がその日の食糧やきれいな水に困っているのを見て見ぬふりを決め込んだ印象を与えかねない、良識に反する大罪であると認めている。しかし、同時にHGウェルズを引用して「楽観論は人類滅亡を唱える悲観論より現実的であることを歴史は示している」と述べ、あくまでも楽観論を支持し続けるのである。 また、「人類は氷河期、洪水、世界大戦をかろうじて乗り切ってきたが、人類の性質は変わらない。真摯(しんし)な楽観主義こそが人として取るべき道である」として、「歴史は円ではなく、螺旋(らせん)を描いて繰り返しており、歴史を刻んでいるのは、変わらぬ性質を持つ人間である」というのである。つまり、人類の性質の根本は変わることなく、今後の人類史において何が起ころうとも、乗り切っていけるだろうと楽観主義者でいることを一貫して疑わない。詳細なデータと共に、文脈のいたるところに、著者の強い意志が見え隠れしている。いったい、何を根拠に、そこまで楽観主義でいられるのだろうか? 本著の内容を、目次に沿って具体的にみていこう。プロローグでは「つがう心」と題して、他のどんな動物にも見られない形で、人間社会が経験する急速で連続性のある、絶え間ない変化を取り上げている。著者は、人間が他の動物との違いとして、自らの生き方を、これほど激しく変え続けられる原因を問い続けた。進化の過程で人間の本質は変わっていないが、人類の歴史のある時点でアイデアが出会い、「つがい」はじめたことによって、人間の文化は10万年の間に変わってきたと考えている。そして、生物学的進化は生殖によって累積的なものになるが、文化的進化のためには、アイデアが出会って、「つがう」必要があったと結論付けている。 第1章では「より良い今日」と題し、石器時代の生活水準と現代社会の水準を、架空の一家とともに統計資料を用いて比較したうえで、具体的に表現している。過去50年の貧困の減少分は、過去500年の減少分を上回るという。5世紀という長いスパンで考えると、著者がいうように、地球上の「万人が豊かに」なっているのかもしれない。 また、日本人研究者による貢献が記憶に新しいLED照明を例に挙げ、テクノロジーの進歩によってアフリカの農民の暮らしが大きく変わる可能性も提示している。そして、著者は常に読み手に問いかける。たとえば、「照明効率の向上が何を意味するのか考えて欲しい」と。生まれてから照明がある暮らしをしていると想像しにくいが、アフリカで長期の停電後に電気が戻った瞬間の、あの嬉しさは言葉にできない幸福感をもたらす。 著者は続ける「ルイ14 世のように498人のシェフが家に居なくても、私たちは職場から家路につくまでのレストランの中から思うままに選び、食事をすることが出来る。私たちの世代より前は、平均的な家庭の人間が他人に食事を用意させるゆとりはなかったはずだ」と。著者の問いかけに、読む手を止めながら、どれほどに普段の生活が豊かであるか考えさせられる。日本では蛇口を捻(ひね)ればお湯シャワーが使え、空腹を感じればコンビニですぐに食べ物を買うことができる。 第2章以降では、緻密なデータ収集に基づき、人類の歴史を年代ごとに追っている。人間は努力と才能を専門化させ「交換」することで、互いに利益を得る仕組みとして「分業」を発見し、革新を促していった。繁栄とは、専門化と分業によって、節約された時間のことなのである。「集団的頭脳」は、交換と専門化が人類にもたらした魔法の力だという。 続く第3章では、5万年以降の物々交換と信頼と規則を「徳の形成」としてまとめ、著者は社会のなかで人々が信頼し合えばし合うほど、その社会は繁栄すると言及している。人間という種が、ますます専門化し、交換の習性を拡大してきたことが、人間の歴史を推し進めてきた規則と道具におけるイノベーションの根本原因だと述べている。 さらに「90億人を養うために」と題した第4章では、1万年以降の農耕から「緑の革命」で知られるボーローグ博士や有機農業、遺伝子組み換えまで議論を展開している。そのうえで、農業生産の専門化と消費の多様化が人類繁栄への鍵であると締めくくっている。 5000年前以降の交易に関して、原始都市ウルクからピサの商人までを「都市の勝利(第5章)」としてまとめ、人口爆発による食糧危機を明示した「マルサス」の罠(わな)を逃れるために、1200年以降の人口増加に関して、中世における衰退と18世紀の日本の勤勉革命を取り上げている(第6章)。 「奴隷の解放」と題した第7章では、1700年以降のエネルギーを中心に、人類が「さらに裕福にもっと裕福」と目指した結果、王者石炭からバイオ燃料まで言及している。その後の1800年以降を「発明の発明(第8章)」として、1900年以降の悲観主義を「転換期(第9章)」としてまとめている。 第10章では「現代の2大非観主義」として、2010年以降のアフリカと気候に注目し、アフリカ最底辺の10億人に対する援助の試練に関して、著者の意見をまとめている。ここまで順を追って本書の解説を進めてきたが、私自身は個人的興味から最初にこの章を読んだ。 アフリカの気候は人間に厳しいが、テクノロジーを利用すれば、アフリカは世界の他地域と同じ繁栄の道をたどることができるという。氷河期の大飢饉に比べると、人口は少しずつ安定し、都市は隆盛を極め、輸出は増加し、農業は栄え、アフリカ10億人の生活を支えることは可能だという。 著者は最終章で、2100年に向けた道理的な楽観主義を展開している。「21世紀は生きていくのにすばらしい時代になる。あえて、楽観主義者でいようではないか」と締めくくっている。本書で、著者は歴史を追って人類の『繁栄』に関する議論を多面的に展開しながらも、道理的な楽観主義者であることを説き続けてきた。 アフリカの農村部で、滞在を通して何度も直面した身近な人や子どもの死。日本であれば、助けられる病気や出産によって失われた命。開発現場では、誰しも経験するのかもしれないが、私はあの苦い思いのために「悲観論」から抜け出せないままでいる。そんな私でも、「底抜けに明るい楽観主義者」になれるかもしれないと教えてくれた一冊である。 また、本書は世界史の教科書以上に内容が充実しているため、一気に読み終えることは難しい。しかし、自分が興味を持った章から読み始め、待ち時間などに読み進め章を終えることができるため、移動の多い方にもお勧めしたい。 *早川書房刊(文庫本) 本体価格=1140円 |