なぜ貧しい国はなくならないのか
正しい農業開発戦略を考える

政策研究大学院大学 教授 大塚啓二郎

1.はじめに

 最近、日本では開発経済学に関心を持つ学生、大学院生、専門家の数が傾向的に増えている。アメリカでも、この分野は経済学の中で花形になってきていて、研究者の数が急増しているという。これは、一面では歓迎すべき傾向であるが、冷静に考えると、経済発展に失敗して貧困問題が相変わらず深刻な国々が多いために、開発経済学の研究課題が増加傾向にあるという、皮肉な現実の反映でもある。事実、開発経済学の守備範囲は広くなる一方で、技術革新、土地問題、農業発展、教育問題、ジェンダー、人口問題、海外直接投資、気候変動、国家建設等々、研究者の問題意識は多岐にわたっている。

 しかし、そうした研究をいくら足し合わせてみても、どうしたら貧しい国々を発展させることができるかという効果的な開発戦略は見えてこない。最近出版した拙著(大塚 2014)*1で強調したように、現在の開発経済学では、この学問の本来の目的である開発戦略の構築を目指すという問題意識が薄弱になってしまっているのである。本稿では、拙著での議論を踏まえつつ新しい視点を加味して、農業発展のための開発戦略についての議論を展開したい。


2.まず「市場の失敗」を理解しよう

 最近、開発の世界ではバリューチェーンという用語がさかんに使われるようになったが、筆者はあまり感心できない。なぜならば、バリューチェーンという言葉には、投入財の購入から、技術の開発・普及、生産、加工、生産物の流通まで、何もかもが重要であるというニュアンスが含まれているからである。しかし、市場がうまく機能している部門に問題はなく、発展途上国政府、先進国の援助機関、あるいは国際機関が介入する必要はない。

 開発戦略を考えるうえでの基本は、バリューチェーンのなかで、市場が失敗している部門や活動を識別し、そこを重点的に支援するという視点である。一般に市場が失敗しやすいのは、民間の企業に任せていたのでは財やサービスが充分に提供されなかったり、逆に過剰に提供されたりする部門である。筆者の考えでは、農業に関して市場が重大な失敗をするのは、(1)農業技術の開発、(2)農業技術の普及、(3)灌漑や道路などの公共財の供給、(4)信用の供与、(5)精米業のような非農業の関連分野における人材育成、である。

(1)農業技術の開発

 たとえば、コメの新品種の開発を考えてみよう。民間企業にとって、コメの品種の開発は採算にあうであろうか? それを考えるために、ある民間企業が高収量を実現するコメの品種の開発に成功し、それを農民に販売して利益を得ようとしたと想定しよう。ここで、この民間企業にとって都合が悪いのは、この品種を購入した農民がそれを再生産でき、その気になれば、その種子を販売すらできるということである。通常のコメの品種は自家生産が可能であるから、企業が開発した品種は完全に模倣されてしまうのである。

 だから、この企業にとっては、せっかくコメの優良品種を開発したのにほとんど儲けがない。そもそも、それがわかっていれば、この企業はコメの品種開発に着手しなかったであろう。つまり、コメやコムギの品種の開発は、市場に任せられないのである。だから、農業の技術開発は国の農業試験場や国際農業研究協議グループ(CGIAR)が担わなければならない。

 他方、トウモロコシや野菜のハイブリッド種子の場合には、自家生産は不可能で、農民は毎年のように種子を企業から購入しなければならないから、その開発は民間企業の採算に乗りうる。

(2)農業技術の普及

 農業技術の普及活動にも、技術開発と同じようなことがいえる。たとえば、民間のコンサルタント企業がアフリカの稲作農民に畦畔(けいはん)の設置、均平化、正条植えといった水稲の基本的栽培技術を、研修によって指導したとしよう。果たして、この企業は、研修への参加費の徴収から充分な利益を上げることができるであろうか? 答えは、おそらく「否」である。

 なぜならば、新しい栽培方法を学んだ農民は、頼まれれば親戚や親しい農民にそれを教えるだろうから、他の農民にとっては料金を支払ってコンサルタント企業から指導を受けるよりも、知り合いの農家から無料で知識を得たほうが安上がりだからである。したがって、一般に農業の栽培技術に関する知識は、市場での取引になじまない。だから、農業技術の普及は公的部門や援助機関が担うことが多いのである。

 しかし、生産者組合が農業技術の普及の役割を担うことはありうる。個々の農家にとっては、無料で、他の農家から新しい知識を得ることが安上がりでも、全員が同じような消極的な行動を取るならば、結局、新しい技術は採用されなくなってしまう。

 それを防ぐ一つの効果的な方法は、生産者組合のような組織を通じて、共同で新しい技術を導入し、共存共栄を目指すことである。青森のリンゴは、明治期に生産者組合が導入したし(白井 2012年)、最近ではケニアの農民が生産者組合を通じて技術を導入し、市場の動向をにらみながら、野菜の生産を行っているという*2。 こうした生産者組合は、市場の失敗を克服するための重要な制度的仕組みである。

(3)灌漑や道路などの公共財の供給

 狭い範囲の農地を灌漑するための井戸型の灌漑設備であれば、個人の投資に任せることができるであろう。しかし、大規模な灌漑設備であれば、莫大な資金が必要であるばかりでなく、多くの農民が同時に便益を受けるという、公共財的性質があるために、農民や民間企業に投資を任せることはできない。

 といっても、灌漑の末端部分については、政府組織ではなく、水利組合のような生産者組織が、灌漑水の配分から灌漑施設の維持のための重要な機能までも担うべきである。そうした生産者組織は、政府組織より農業の実情が分かっているし、農民を組織して灌漑水の配分をしたり設備の掃除をしたりすることにたけているからである。

 道路のような輸送インフラについても、公共財的性質があるために、市場に任せていたのでは、その整備・拡張はおぼつかない。ここでも市場は失敗し、公的機関がその供給に責任を持たなければならない。

(4)信用の供与

 作物の生産では、化学肥料のような投入財の購入時期から、収穫物の販売によって収入が得られる時期まで、長い間隔があるために、資金の融通が大きな問題である。担保があれば、それを使って資金を借りることができる。とくに、農地は担保として優れているが、農地の所有権が公的に認められていないために(たとえば、サブサハラ・アフリカに位置する多くの国がそうである)、担保としての価値がないこともある。また、わずかの農地しか所有していないような貧しい農民への信用の供与は難しい。

 たとえ返済が可能な有利な資金の使途があっても、銀行は農業についての詳しい知識がないので、貧しい農民に担保なしで信用を供与することはまずない。つまり、信用市場は失敗しがちである。

 数人のグループの連帯責任のもとで、担保なしで資金を貸し出すマイクロ・ファイナンスは、残念ながら農業の役には立っていない。返済率を高めるために、マイクロ・ファイナンスから資金を借りた農民は、少額ずつながらも毎週のように返済をしなければならない。しかし、通常の作物生産では、収入は収穫時にだけ得られるので、そうした返済は難しい。収穫時の一括返済を取り入れることを考えないと、マイクロ・ファイナンスは農業の支援にはつながらない。

 伝統的にアジアでは肥料商兼米穀商が、生育中の作物を「実質的な」担保として、肥料代を前貸しするという慣行がある*3。こうした商人は、しばしば村に出入りし、農民の人柄や農業生産の状況をよく知っているので、信頼に基づいて信用を供与できるのである。ただし、踏倒しのケースもあるためか、利子はかなり高い。最近では、民間の企業が収穫物を納入することを条件に、種子や肥料を提供し、かつ栽培方法を指導する契約栽培が盛んになりつつある。これが適正に機能すれば、信用市場の失敗を克服するばかりでなく、技術普及の問題も解決する有効な手段になりうる。

 要約すれば、信用市場が全く機能していないということはないが、不完全にしか機能していない。それゆえ、政府の支援があってしかるべきだが、政府が市場以上に大きな失敗をすることもあるために、問題は難しい。たとえばアフリカでは、信用市場の不完全性を解消するために、政府が肥料の購入に対して補助金を出すことがあるが、補助金が主に政治的に有力な農家の手に渡ったり、欲しい時に肥料が届かなかったりという問題が発生している。

(5)精米業のような非農業の関連分野における人材育成

 いまでも経済学では、企業経営者は費用をできるだけ節約し、効率的な生産方法を採用し、合理的な経営を行って、売上をできるだけ増やすように行動することが仮定されている。ところがアフリカの中小企業を回ってみると、整理整頓ができていないために足の踏み場もないような工場、電話番号も書かれていない領収書の使用等々、これで儲け(利潤)を最大化しているのかと疑いたくなる企業がたくさんある(Sonobe and Otsuka 2014)。

 とくに首をかしげたくなるのは、アフリカの精米業者である。多くの精米業者は、農民に宣伝をして籾米を集め、精米量を増やして儲けを増やそうと努力している様子でもないし、米穀商に働きかけて精米の販売量を増やそうとしているわけでもない。精米機として、コメ専用でないような不適切な機械が使用されていることが多いし、それを単に賃貸しして、料金を集めているだけのようにみえる。

 しかし、われわれの見解では、精米業者をはじめとする企業経営者は決して非合理なのではない。そうではなく、精米機について研究し、適切な新型の機械を採用して精米の品質を高めたり、ブランドを確立してマーケティングの改善を行ったりするインセンティブが弱いのだと思う。精米業者は、そもそもどうやって適切な機械を見つけ出せばいいかわからないし、どのような業者から機械を買うべきかもわからない。ブランドの確立などは、どのようにすればよいのか、まったく見当がつかないのかもしれない。また、そうした独創的なことをしたとしても、ライバルの精米業者に模倣をされて、結局、それほど儲けにつながらないかもしれない。

 模倣があるために、新しい創意工夫(つまり革新)をした企業家の私的利益は、模倣者の利益をも足し合わせた社会的利益よりも低い。そのために、社会全体として革新への努力は過小になる傾向がある。たとえば、革新者の利益が1億円だとして、模倣者たちの利益が総計で9億円だとしよう。社会的には、この革新者は10億円の社会的利益を念頭に革新への努力をして欲しいところであるが、おそらくこの革新者は1億円の私的利益だけを考えて革新への努力をするであろう。しかし、それでは社会的に望ましい水準の革新は起きないことになる。つまり、革新的な知識の市場が機能していないのである。

 同僚の園部哲史教授と行ってきた産業集積の発展に関する研究では(Sonobe and Otsuka 2014)、公的部門は経営や技術に関する知識を、研修を通じて企業経営者に提供するべきであるという議論がなされている。この議論は、産業集積内の企業ばかりでなく、農業関連の投入財を供給する企業、精米業者を含め加工業者に該当する。


3.農業の開発戦略を考える

 前節の議論で、開発戦略を考えるうえでの「材料」はそろった。次は、段取りを決めて、それを「料理」する番である。筆者の考えでは、開発戦略を構築するということは、料理のレシピを作るのに似ている。重要なのは、技術開発、技術普及、インフラ整備、信用の供与、人材育成をどのような順序で支援するかである。公的部門に資金や人的資源の制約がないのであれば、同時にすべてを支援してもいいのかもしれない。しかしながら、現実にはさまざまな制約があり、支援の順番を間違えないことが肝心である。

 少し考えれば明らかなように、有用な技術が開発されていないのに、技術普及を支援することには意味がない。同じように、肥料感応型の技術が開発されていなければ、信用の提供を支援することには意味がないし、運輸通信インフラを整備して投入財の市場を整備しても意味がない。また、灌漑がある環境で増産をもたらす改良技術が開発されていなければ、灌漑への投資に大きな効果は期待できない。

 要するに有用な技術を開発し確立することが、開発戦略の第一歩でなければならない。もしそれに成功したら、次に続くべきは普及である。新技術が普及し始めると、肥料などの投入が重要になってくるし、信用も重要になってくる。灌漑の価値も高まるし、精米業者を訓練することも重要になる。このように、正しいレシピが必要なのである。それが、開発戦略の骨子である。

4.結びにかえて:アフリカの「緑の革命」を目指して

 これはあまり科学的意見ではないので、無視していただいても結構だが、熱帯アジアで「緑の革命」が成功した大きな理由の一つは、アメリカのジョンソン大統領、世界銀行のマクナマラ総裁などの指導者たちが国際稲研究所(IRRI)を訪問し、開発された高収量技術の潜在力の高さに、興奮を覚えたことにあったと思う。彼らの興奮が、のちに「緑の革命」を支援するような灌漑投資や信用の供与プログラムにつながったのだと筆者は思う。

 アフリカの農村調査をしていて驚くのは、灌漑地帯の水稲の生産性の高さであり、天水田地帯のポテンシャルの高さである。JICAの指導に助けられて、タンザニアのローワーモッシ、ケニアのムウェア、セネガル川流域などの灌漑地帯では水稲の1ヘクタールあたりの収量は5トンを超えていて、アジアの灌漑地域に決してひけをとらない。イネがたわわに稔った光景は、誰が見ても興奮を覚えるはずである。また、アジアの天水田は平地に立地していて日照りに弱いが、アフリカの天水田は谷状の低地に多く、そこは肥沃で湿り気があることが多い。一般に、そこでの収量のポテンシャルはきわめて高い。

 事実、筆者自身が仲間と研究中のタンザニアのキロンベロ地域では、高収量品種の採用、化学肥料の投入、栽培技術の改善で、1へクタールあたり5トンを超える高い収量を実現している。これは、アジアの天水田では聞いたことのない高収量である。キロンベロは例外としても、さほど肥料を投入しないにもかかわらず、アジアの天水田並みの2.5トン程度の収量を上げている天水田地域は、ウガンダやガーナにもある。

 強調したいのは、こうした天水田地域で生産性が高いのは、優れた技術の普及があったからで、市場が整備されたり、低利の融資が提供されたりしたからではないことである。つまり、アフリカでの水稲生産に適した技術体系はかなりの程度確立されていて、現在、もっとも必要なのは普及である。しかし、コメの栽培について充分な知識を持っている普及員は、アフリカにはほとんどいない。これでは、アフリカの稲作の高い潜在力は発揮されようがない。

 もっとも重要な主食であるトウモロコシについては、アフリカで興奮を覚えるような高い生産性を目の当たりにしたことがない。一般に畑作は土壌の管理が重要であり、マメ類との混作、家畜を利用した堆肥の投入、化学肥料とハイブリッド種子の採用など、適切な「栽培体系」が必要である。筆者の考えでは、こうした栽培技術の体系の構築が、トウモロコシにおける「緑の革命」を起こすために急務である。しかし、現実はそのようになっていない。支援の順番を間違えているうちは、それは望めないことである。

 主食用の穀物ではなく、果樹、花卉(かき)、野菜などの高付加価値の作物では、スーパーマーケットや先進国の企業の進出で、マーケティングに大きな地殻変動が起きている。こうした新しく進出してきた企業は、食の安全、品質の保証、生産物の均質性を重視している。このようなマーケティングの構造的変化から、小農が恩恵を受けるためには、彼らが組織する生産者組合が技術を導入し、マーケティングの情報を収集し、品質を保証することが重要になるであろう。彼らの努力では不十分だとすれば、そうした生産者組合を外部から支援することも重要になるであろう。

 要するに、「市場の失敗」を念頭に入れながら現状を見極め、効果的な開発戦略を設計することが、農業の飛躍的な生産性向上の鍵を握っているのである。

<参考文献>
大塚啓二郎『なぜ貧しい国はなくならないのか:正しい開発戦略を考える』、日本経済新聞出版社、2014年。
白井泉「産業組合による生産・流通過程の統制:無限責任竹館林檎生産購買販売信用組合の事例」『社会経済史学』第78巻第2号、2012年8月。
Hashino, Tomoko, and Otsuka, Keijiro, “Cluster-based Industrial Development in Contemporary Developing Countries and Modern Japanese Economic History,” Journal of the Japanese and International Economies 30(1), 19-32.
Sonobe, Tetsushi, and Otsuka, Keijiro, Cluster-based Industrial Development: A Comparative Study of Asia and Africa, Palgrave Macmillan, 2011.
Sonobe, Tetsushi, and Otsuka, Keijiro, Cluster-based Industrial Developments : Kaizen Management for MSE Growth in Developing Countries, Palgrave Macmillan, 2014.

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