編集後記 事柄の見立てが楽観的にすぎるのか、あるいは悲観的にすぎるのか。よくある喩(たと)え話は、コップの水が「まだ、半分もある」というか、「もう、半分しか残っていない」というか。人口と食料を論じるときは、ここまでの両極端にならないにせよ、やはり見解は分かれます。 進化論からすれば、人類は頂点に位置しますが、生物の一つの種であって、その存続は予定調和的にもたらされることではなく、確たる意図的な調整が前提になります。たとえば、温暖化防止の取組みでしょう。2050年に97億の人々が生きているという人口予測、その前提をつぶさに検討してゆくと、人類文明の今日の選択肢が見えてきそうです。 地球という人類共有の自然資産を食いつぶすことなく、その資産の利息のなかで生活してゆくという、ある意味で、あたりまえのことを原理原則とするならば、1980年代の世界はすでに、食いつぶしの時代に突入したと指摘する国際環境NGOもあります。 「ゆでタマゴ」になってから、鍋に水を加えても「生タマゴ」には戻りません。そのような不可逆反応を引き起こす、「地球の閾値(いきち)」を大きく超えないうちに、温暖化の抑制と適応に取り組むこと、そして過酷な自然条件に位置し、社会経済的にも脆弱なサブサハラ・アフリカのような地域のフード・セキュリティを支援することは、農業農村開発の実績のあるわが国へ、いっそう強く求められるでしょう。
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