災害時、誰が、
あなたに食料を届けてくれるのか ─ 被災者支援の現実と限界 ─
1. はじめに 昨年の11月初旬、テレビでは、フィリピンの中部島嶼(とうしょ)群を襲った台風の被災者が水や食料を求めて長蛇(ちょうだ)の列を成し、援助の手が届いていないことを伝えていた。 東日本大震災(以下、「大震災」と呼ぶ)から3年、私のなかで、未だに整理しきれていない当時の記憶が生々しく、そして鮮明に蘇(よみがえ)り、繰り返す同じような惨状に、言葉にできぬやり切れなさがこみ上げてきた。 大震災が発生したとき、私は、農林水産省総合食料局の政策推進室長だった。政策推進室は、局内の予算の執行管理、審議会や評価委員会の運営、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)やEPA(経済連携協定)などの国際交渉を総括するとともに、ポスト創設時の局長の肝いりで新型インフルエンザや地震などの大規模災害に際して、緊急対応を担当する役職として2008年に設置された。初代の室長として就任以来、事故米*1発生の原因究明、新型インフルエンザの発生に伴う企業向けマニュアルの策定や研修会の実施、九州での口蹄疫(こうていえき)の発生に伴う禁輸措置への対応など、新聞トップを飾る事件・事故を担当してきた。 そうしたなか、就任3年を迎える直前に指揮したのが、大震災における被災者支援であった。それまで、不測の事態に伴う食料供給は、最大限の準備と努力を行ってきたつもりであったが、大震災での対応は、綱渡りの連続であり、大きな問題が発生しなかったのは奇跡に近いことであったと思う。フィリピンにおいて、災害に伴う食料の供給不全が発生していることもふまえ、大規模な災害の発生に際し、私たちは何に頼り、どのような準備が必要なのかを、私なりに解き明かし、読者各位の減災に役立つことを祈念して本稿を記す。 2. 東日本大震災 (1)政府の食料支援 (1)被災者支援は、そう簡単ではない 食料があふれ、食べ残しや売れ残りなどとして、年間に何百万トンも捨てられている日本であるにもかかわらず、被災者支援のために食料を調達するのは、簡単なことではなかった。「災害の被災者」といえば、家を失い避難所に暮らす人を思い浮かべるであろうが、果たしてそうだろうか。大震災は、被災地の住民の家屋を奪ったが、同時に食品製造工場、物流拠点、食品の原料や資材のストックにも、きわめて大きな被害を与えた。これは、日本の食料の供給能力が低下し、被災地以外でも食料が入手しにくくなったことを意味していて、国民全体が、食料を手に入れにくくなるという被災者になった。 被災者支援は、「国民全体への食料供給を確保したうえで、増産や流通の余剰によって確保するか」、「強権を発動して、国民への供給を削って確保するか」の2つの道しかなく、選んだ政策は前者であった。 農林水産省では、2005年の国民保護計画の策定以来、毎年、不測の事態に際し、被災者支援の食料を供給できる企業の連絡先および物量を調査している。この結果だけでいえば、1日あたり数百万食の調達は容易にみえていたが、実際は困難をきわめた。 図1 主食の加工度別調達数量 (2011年3月12日〜4月20日)
3月12日に始まる政府の食料調達は4月20日までの40日間で主食、副食を合わせて約2700万食が被災地に送られた(図1)。コメ、パン、即席麺(めん)などの主食は、発災から5日経過後の3月17日からの5日間で約500万食、20日には1日当たり150万食と支援期間中の最大値に達したが、国内に大量にあるはずのコメの調達にすら苦慮し、宮崎県で調達したコメを自衛隊機で岩手県に輸送するような事態に陥った。 株式会社イトーヨーカ堂が、2010年に食料・農業・農村政策審議会の食品産業部会に提出した資料によれば、この食料調達の時期、コメの需要は平時の10倍に達し、店頭に並べる商品を確保することも難しかったとしている。
(2)調達物資は、直ぐにはこない 農林水産省では災害時に協力してもらえる企業をリストアップしていると書いたが、それでも連絡を取って、必要な数量の支援物資を調達するまでには、結構な時間がかかる。 イメージしやすくするため、平時には毎日配送されている商品(日配品)であるパンを例に企業の対応を想像も交え説明する。大震災当時、東北地方の大きなパン工場は、1日当たり100万食を製造するA社の仙台工場のみで、他社は関東地方の工場で製造し、輸送していた。A社は、仙台工場が被災し、被害が少なかった関東の工場で増産し、東北に供給しようと方針を定め、原料の小麦粉や焼き上げのための油、輸送トラックの確保を進めていく。そうこうしているうちに、政府からパンの調達要請がくる。A社は一般需要への供給確保の調整と平行し、政府から要請のあった被災者支援物資の生産が可能な工場を資材や工場の能力からシミュレーションし、関東の工場では供給できないことを知り、名古屋、神戸、大阪、さらに岡山の4つの工場での増産により対応できることを確認のうえ、政府に4工場で対応可能である旨を回答した。 小職は、食料調達の進捗状況を把握するため、依頼した時間と企業から回答のあった時間を記録しているが、3月12日から14日の3日間の平均で主食の場合、12時間ほどを要していて、先に記載した調整には半日が必要であるとわかる。 この12時間は、被災地への物資供給能力を現実的に有する企業を特定するための時間である。このあと、農林水産省は内閣府を通じて、生産したパンを輸送するトラックを準備するよう国土交通省に依頼する。トラックは、燃油不足、あるいは年度末の引越しなどの需要があり調達は困難をきわめ、やはり、小職の記録によれば30時間以上を要して、生産拠点から被災地に輸送できるトラックを確保する。 パン工場では、トラックが確保されたとの連絡を受けてパンを焼きはじめ、トラック会社と製品の引渡時刻、荷姿などを調整する。12時間後にパンが焼け、トラックが工場に取りにやってくる。被災して交通規制が行われている高速道路を利用して、トラックは被災県まで900kmの道のり(大阪〜仙台、東海道ルート)を12時間かけて、県が設置した物資集積拠点に到着する。 県では、到着した物資を市町村ごとに仕分けて輸送し、市町村は避難所に配布し、ようやく支援物資は被災者に届けられる。輸送に要した時間は記録がなく想像だが、これだけの過程を経ないとパンは被災地に届かないのである。事務的な手続きや通信の不安定さなども勘案すれば、発災から、政府の支援物資が届くには、大震災の場合、平均的に5日は必要であったと小職は考える。このことは、災害の規模や発生場所、また、物資の種類(たとえば、パンであれば先述のようにさまざまな調達・設備確保を行ったうえで、新たに生産しなければならないが、缶詰のような物であれば倉庫に保存されたものを出荷すればよい)によって、出荷までの時間も異なることから、物資が届く時間は目安に過ぎない。 (2)海外からの食料支援 それでは、海外からの物資の支援はどうだっただろう。これも正式のデータは公表されていないため、筆者の記憶と記録に依存するしかないのだが、国および国際機関からの支援のうち、食料として最大の供給支援があったのは国連食糧計画(WFP)であり、それはビスケット50万食であった。アメリカについては、在留米軍がかなりの支援を行っていると判断されるが、軍の活動でもあって入手できるデータがない。 各国が送った支援物資の多くは、水であり、食料については支援されているが、10万食単位での支援物資はほとんどなかったと記憶する。 発災から1週間後、「A国がコメを送ろうとしたが、拒否された」と報じ、食料が足りないのに、政府がコメを守ろうとしたと言わんばかりの報道があった。しかし、局内では、コメは国内に豊富にあり(国家備蓄に加え、コメの収穫期から半年であり、国内消費の10か月分位はあったと考える)、それがサプライチェーンの混乱と買い溜めによって、消費者に届いていないだけであると分析していた。まして、香りの強い長粒米が被災者に受け入れられる可能性も低く、仮に援助米として無関税で国内に入れると、消費されなかった場合、再販が禁止されていることから捨てるしかない。また、政府が調達していたのは無洗米であったため、調理に際して現場が混乱する可能性もあり、総合的に考えて、いっさい受け入れる必要性はないと判断していた。 海外からの支援物資は、その国で備蓄されている食品がほとんどであり、穀物やビスケット、缶詰などが大半である。即席麺などの加工度の高い商品をその国のサプライチェーンから調達して、支援物資として送ることは不可能ではないが、何十万という量を調達すれば、その国の国内需要に影響が出ることはまちがいなく、現実的ではない。 その実例として、担当課と相談して、B国からラーメンを輸入しようと考えたが、先方の回答は100万食を調達するのに1か月以上必要とのことで、そのころには、国内の食料事情は平時に戻っている可能性が高く、このアイディアは却下された。また、実際に海外から大量の食料を受け入れた例として、C国の缶詰協会からのツナ缶50万個の無償提供例があるが、かの国内で原料を調達して、被災地向けに製造し、現物が到着したのは、ゴールデンウィークであった。 このように海外からの支援は、その内容を十分に見きわめる必要があり、暖かい食事、弁当やカップ麺のように加工度の高い食品など期待するようなものが送られてくる可能性は低い。 3. 経営の効率化と緊急時の対応能力のはざま 図2は、どのような種類の企業から主食と飲料を調達したかを示したものである。被災者支援物資のほとんどは、製造業の協力により入手したことがわかる。 図2 主食および飲料の供給元の種別割合
小売や卸(おろし)にも当然、要請はしたのだが、元々、経営の効率化のためにほとんど在庫を持たず、持っていても1日程度であるので、被災者支援に回す余裕がなかったものと推察される。製造業についても、大震災の2年前、企業団体の協力のもと、主要な食料について増産できる能力や原料の備蓄量を調査したことがある。 増産能力がもっとも高いのは、大震災で240万食を供給した精米企業で通常時の3倍の能力(合計4倍の供給が可能)を有していて、今回の大震災で600万食と最多の食料を供給したパン製造企業の増産能力は3割、200万食を供給した即席麺(めん)製造企業の増産能力は1.5倍である。 原料の備蓄量についても、精米企業が約1か月分の玄米を備蓄しているのに対し、パン製造企業と即席麺製造企業では、原料の小麦粉の備蓄は5日分以下しかない。 この二つの指標からみれば、精米企業が主食のなかでもっとも頼りになると評価できる。災害時対応を考えれば、パンや即席麺を製造する企業にもっと努力をして欲しくなるところだが、とまれ、このことは経営の効率化の裏返しである。また、このことは製造工場の国内の配置にも現れていて、精米企業はいまのところ、全国いたる所に存在しているが、数社の大企業で国内生産の大部分を製造するパンや即席麺の工場は集約され、大都市近郊を中心に限られた地域にしか存在していない。 原料の備蓄を切り詰め、施設を最大限に活用し、工場を大規模化・集約すればするほど、コストは縮減されることは、自明の理である。つまり、私たちが、食品に対して低コストでの供給を求め続ければ続けるほど、皮肉なことに災害への対応能力は弱体化していくのである。逆に、災害への対応能力を企業に求めることは、経営の非効率化につながり、コスト高を生むことになる。 4. 結びに─誰が助けてくれるのか─ 大規模災害が発生したとき、自治体、国、他の国も国際機関も援助の手を差し伸べてくれることはまちがいない。しかし、そうした援助物資が順調に私たちの手に届くのは5日先である。まず、私たちは、自分を守るために最低でも1週間分の食料を備蓄しよう。 次に、被災して脆弱(ぜいじゃく)になり、被災者支援への協力が求められるサプライチェーンに負担をかけないために、食料の買い溜めは、とくに被災地外ではこれを厳に慎んでいただきたい。可能ならば、自らの備蓄も消費しながら、購入を抑えて、被災地を間接的に支援していただきたい。その観点からも、備蓄は必須である。 そしてこれは、わが国の利点であり、災害時対応のポイントであるが、災害時にもっとも頼りになるのは「おコメ」である。供給能力が高く、全国に製造工場があることから、一番、入手しやすいことはまちがいない。だから、おコメを調理できる器具(カセットコンロ、鍋、水)を家庭で準備しておこう。さらにいえば、おコメに経済効率を求めれば、災害時での対応能力の低下につながるので、少々高くても国産のおコメを食べましょう。 う〜ん、なんか農水官僚らしいまとめとなってしまった。 |