アフリカにおける
「開発志向国家」の構築に向けて ─第5回アフリカ開発会議(TICAD V)後の
農業協力アプローチ─ はじめに──援助の原点から考える第5回アフリカ開発会議 本年6月、第5回アフリカ開発会議(TICAD V)は「横浜宣言2013」*1「横浜行動計画*22013-2017」を採択して閉幕した。TICAD Vは表面的には成功であったようにみえるが、多くのことが日本社会に共有されずに終わったように思われる。この稿では、そのことを踏まえて、2つの文書を中心とするTICAD Vでの議論を参照しつつ、グローバル・イシューとしてのアフリカの農業開発政策とそれに対する支援の課題について論じてみたい。 TICAD Vそのものの会議やサイドイベントでは、アフリカの直面する問題が専門的見地から議論され、食料安全保障への脅威、達成困難な貧困削減目標、環境の脆弱性、主として海外からの資金による大規模投資がもたらす農民の耕作権や生活権の侵害などの重要な論点が取り上げられた。ビジネスに関する議論でも、日本の経済界の代表から、企業活動への制度的障害の除去に向けたアフリカ各国政府の努力の必要性(したがって現時点での対応の不十分さ)や、アフリカにおける中国企業と日本企業との連携がもたらすメリットが率直に指摘された。そうした実のある議論を、一般国民に知らしめようとする努力は十分になされたとは言い難い。 1.課題をどう捉えるべきか─アフリカにおける「開発なき成長」 あえて、アフリカの経済成長は、あるべき開発を伴っているのだろうかと問うてみよう。「開発なき成長」という言葉があるが、これはある国が、外国資本が開発した資源の輸出などによって労せずに経済成長し、その成果が一部の富裕層に集中し、大多数の人々には教育も保健医療も供与されず、国内の金融システムや資源部門以外の産業は発展せず、広範な貧困が放置されている状況を指す。かつて中東産油国が、その例として挙げられることが多かった。 国連開発計画(UNDP)によれば、赤道ギニアは平均所得水準の順位と人間開発の順位のギャップが、世界でもっとも大きな国である。先進国並みの平均国民所得がありながら、出生時平均余命は約51歳、国民の平均教育年数は5.4年にとどまっている。また、独立後の政治行政の深刻な混乱や石油輸出の爆発的拡大の副作用によって、農産物の生産と輸出は深刻な不振に陥った。「開発なき成長」の典型的な例であろう。 農業以外の産業に関しては、携帯電話が急速に普及するなどダイナミックな変化も生じつつあるが、そうした成長産業のすそ野は狭く、盛り上がる消費の多くは国内生産ではなく、輸入によってまかなわれている。何よりも農業とともに長期の開発を担うべき製造業は、インフォーマルな事業者を除けば、輸入品の洪水によって国内市場でのシェアを失いつつある。 こうしたアフリカにおける「開発なき成長」は、決してアフリカにとってだけの問題ではない。国連経済社会局の予測によれば、アフリカは2060年に最大の人口を有する地域になる。同年に世界の人口は100億人を超え、アフリカ大陸の人口は25億人前後と現在の約2.5倍に膨張すると予測されている。TICAD Vの際にも、この急速な人口増加が日本企業のビジネスチャンスを広げるものとして語られた。そのこと自体は決して的外れではない。 2.「開発志向国家」の構築と農業開発政策 しかし、アフリカにおける公共サービスの執行能力の弱さは、この地域の社会と歴史の在り方に由来する根深い問題であり、「開発志向国家」構築の実現は簡単ではない。アフリカの大半の土地では自然条件は苛酷であり、人口密度は長期にわたり低いままにとどまってきた。そして、植民地化以前のアフリカのほとんどで、定住農耕民を上から組織的に支配し、農政を施して、余剰生産物を持続的に搾取する統治機構は形成されなかった。 19世紀末以降に進んだ植民地支配の農政の下で、アフリカ諸地域の多くはグローバルな農作物市場と初めて恒常的に結び付けられた。ただ、そこで行われた農作物の導入、インフラの整備も大多数の農民の福祉のためではなく、本国が利益を得、支配を効率的に維持する観点から進められたのである。植民地化に伴う近代化や市場化の恩恵は、都市と一部の農村にしか及ばなかった。1960年前後の独立後、複数政党制民主主義が次々と廃棄されていくなか、行政機構を引き継いだアフリカの為政者は、歴史的に積み重ねられてきた農村への無関心をも多分に引き継いだといってよい。かつて政治学者ベイツが批判したアフリカの為政者の都市偏重的性格は、そうした歴史的背景の下で理解されるべきである。 現在まで十数年ごとに重ねられてきた国際社会からの援助の変遷は、こうしたアフリカの国家の在り方とのせめぎ合いの軌跡だったといってもよいだろう。1980年代前半に始まった構造調整政策は、独立後の「国家建設」の名目の下で拡大した国家の在り方を、非効率な資源配分を特徴とする肥大化であると捉え、国家の代わりに市場を資源配分の枠組とし、民間部門を活性化することを目指した。 2010年代前半、国際社会からの援助は、再び大きな曲がり角に差しかかりつつある。それまで欧州ドナーが目指してきたのは、アフリカの国家を、ガラス張りの『善良な』ものにすることだったといってよい。善良なガバナンスは、民主化をよそに、後を絶たない私物化・腐敗の深刻さを考えれば、きわめて重要なことだった。しかし、アフリカ各国に民間資金が流入しはじめ、技術、インフラやエネルギー供給への需要が高まっている現在、そのチャンスをつかみ、「開発なき成長」を乗り越えていくためには、国家は「善良であること」を超えて、「有能であること」になるように求められている。言い換えれば、国民の開発ニーズに対して、実効的かつ具体的な政策で応えられる国家を時代が要請しているのである。そのことは欧州ドナーの間でも認識され、一般財政支援にとどまらず、セクターレベルの政策の中身への支援が強化されつつある。 国家を有能にすることは単に行政組織を設け、職員の知識を増やすことではない。農業開発でいえば、民間の主体である農家の自由で活発な活動を引き出すために必要な公共サービスを提供する能力を国家が備えることである。いくら行政組織が大きくなろうと、横浜宣言が「成長の主人公」と呼ぶ農民自身が力をつけ、自らの食料安全保障を達成し、貧困を抜け出していかなければ無意味である。そこに、教育や保健医療と異なる、アフリカの農業開発が直面する難しさがある。その難しさがあるからこそ欧州ドナーの多くは、農業開発から距離を置いてきた。 しかし、日本がとってきた立ち位置は異なる。他のドナーが一般財政支援に傾斜し、人間貧困の削減に集中するなかでも、日本は生産セクターを愚直に重視し、とくにアフリカでは農業開発を一貫して支援し、新しい技術・ノウハウの開発・導入に挑戦してきた。しかし、日本の場合に限らず、アフリカでは新しい技術・ノウハウが開発されながら、農民によって受け継がれず、利用者が広がらないケースがしばしば見られる。農業開発において、公共政策が実効性をあげられていない一例である。 要するに、農業に関する技術・ノウハウの普及のための公共政策が困難に直面していることの背景には市場経済の未発達があり、その背景にはハード・ソフト双方のインフラ整備のための公共政策の不十分さがあるということになる。 しかし、アフリカの農業開発の難しさは正にここから先にある。インフラ整備のための資金は有限であり、整備事業も限られてしまう。そうすると、市場経済向けの農業活動に従事して成功する人々も当面は限られざるを得ない。「包括的アフリカ農業開発プログラム」は農民の市場経済へのアクセス向上とともに、より公平な資源の配分を訴えているが、その二つを両立させることは現実には決して簡単なことではないのである。そして、ケニアなどの実例を見ると、分配する資源とその受益者が限られることは権限の濫用や格差の原因となり、「部族主義」や「水平的不平等」の元にもなりやすい。 では、どうすればよいか。重要なことは、各国の政府が、農業開発政策を透明で開かれたプロセスを通じて策定することだろう。そして、その中で開発の途上では避けることのできない、優先順位に従った資源配分の選択と集中を国民の前で公にすることであろう。その優先順位付けは公正で説得的なものでなければならない。いっそう重要なのは、成長の果実を一部の人々に独占させず、公共政策を通じて公平に行きわたらせていくことを、国家の原則として打ち立て、しかも確実に実施することである。成長によって拡大した国富を開発・貧困削減のために活用してこそ、アフリカの人々は援助への依存から脱して、歴史を自ら変える主人公となり、「開発なき成長」を終わらせることができる。 アフリカの農業開発は、その失敗が及ぼし得る大きな影響を考えればわかるように、日本に住むわれわれも共有すべきグローバル・イシューである。広く日本の社会がアフリカ開発の課題やその重大性を共有することは個別企業の利益に訴えるのに比べて、アフリカ援助への支持をより確かなものにする道であろう。そのための労力と時間を惜しむべきではない。さらには、5年後に開かれる6回目のTICADに向けて、TICADを単なる経済外交ではなく、アフリカ各国の公共政策を議論し、支援するための多角的な開発外交のプロセスとして位置づけ直し、そこでリーダーシップを発揮することについて、広く国民の合意を得ていくことが必要である。それは、高度経済成長を続ける中国と、見かけの援助額・投資額の大きさをめぐってむなしく競い合うよりも、はるかに意義のあることに違いない。 |