グローバル化のなかのアフリカ

一橋大学 大学院社会学研究科
教授 児玉谷史朗      

 アフリカに対する世界の見方は過去10年足らずの間に、「貧困と紛争のアフリカ」、「援助の対象としてのアフリカ」から「資源と経済成長のアフリカ」、「投資先、ビジネスパートナーとしてのアフリカ」へと大きく変わった。2000年にミレニアム開発目標が定められたとき、アフリカは貧困がもっとも深刻な地域であり、1990年代のシエラレオネやルワンダの紛争はようやく終わろうとするところであった。2005年のグレンイーグルズ・サミットでは、ブレア首相(当時)が「アフリカ委員会」の報告書に基づいて、アフリカへの援助の増額を呼びかけた。これが貧困のアフリカの底であった。2003年頃から資源高によって各国がアフリカに資源確保を求めて投資し始め、アフリカ諸国は持続的な経済成長を始めた。2008年の第4回アフリカ開発会議(TICAD IV) のテーマは「元気なアフリカを目指して」であり、アフリカを特徴付ける色調が3年間で変わった。

 本稿では、平野克己氏の『経済大陸アフリカ 資源、食糧問題から開発政策まで』と勝俣誠氏の『新・現代アフリカ入門』という2013年に出版された2冊を手掛かりに、グローバル化のなかのアフリカを考えてみたい。この2冊を取り上げるのは、現在のアフリカについて書かれた一般向けの書として(第5回アフリカ開発会議以前ではあるが)、最新にして最良のものだからであることに加えて、現在のアフリカを異なる(ときには対照的な)観点から論じているからだ。平野氏の著書は、アフリカをグローバルイシュー、外からの視線で照射するという方法をとっているのに対して、勝俣氏の著書は現代アフリカ社会で活動する人々にアフリカの変革と将来を見ようとする。
 この2冊はさまざまな情報や秀逸な視点や考察を提供しているが、2人の著者の見方を対比することで、あるいは総合することで、さらに新たな視点や考えが浮かび上がるのではないかと考える。なお、この2冊を相対化する参照点として同じく2013年に出版された、アメリカの国際政治学者R. ロットバーク(R.I. Rotberg)のAfrica Emergesを適宜参照する。

 『経済大陸アフリカ』(以下『経済大陸』と略称)は、今世紀に入ってアフリカがグローバ化されたことを前提として、グローバルな視界からアフリカを論じるというアプローチをとっている。20年以上経済成長しなかったアフリカが今世紀に入って高成長を続けているのは、世界の各国、企業がアフリカの資源を求めてアフリカに投資し、アフリカから輸入しているからである。
 勝俣氏の『新・現代アフリカ入門』(以下『入門』と略称)は、南北問題の視点からアフリカの立ち位置を描写し、その課題と展望を明らかにしようとした書である。勝俣氏はアフリカをマクロ統計で括ることは避け、勝俣氏自身が歩いて、見て、会った体験を基礎に書いている。

1.グローバル化はアフリカにどのような影響を与えるか

 第一の論点は、グローバル化がアフリカに与える影響である。平野氏は辺境化していたアフリカが今世紀に入ってようやくグローバル化され、その結果、アフリカ経済が急成長しているととらえる。グローバル化がアフリカ経済に好影響を与えるという認識である。勝俣氏は冷戦後の現在でも南北問題は無くなっておらず、むしろ広がっているととらえる。そして現代アフリカはまぎれもない「南」であり、新興国の登場で「南」のなかの「南」となっていると位置付けているので、勝俣氏にとってグローバル化はアフリカを「南」=弱者として再生産するものである。平野氏はグローバル化が機会を与えると考え、勝俣氏は格差を生み出すとみており、両者のグローバル化の見方と評価は正反対である。

 グローバル化のなかのアフリカはどのような構造あるいはメカニズムのなかにあるのか、アフリカはどのように反応しているのか、2人がどうとらえているかを見てみよう。『経済大陸』は次のように見る。急拡大する資源輸出が生産面で鉱業部門の成長をもたらし、多様な財を輸入することを可能にしている。それが個人消費の爆発的増加につながり、資源分野以外での企業活動を活発化させ、経済成長を引き起こす。外からの投資で資源輸出が増え、その所得で消費が増大し、それは輸入品によって賄われるという、この構図を平野氏は自立性に欠けた危ういものと見る。農業の低開発のため、人口の多数、貧困層の大多数が住む農村に成長の恩恵が浸透せず、経済成長が貧困削減に結び付かず、所得格差が拡大する。そのため安定した社会基盤が形成されず、政情は不安定である。

 『経済大陸』が主として経済のメカニズムでアフリカの現状を説明するのに対して、勝俣氏は『入門』で主に政治面から迫る。コンゴ民主共和国を例にとり、独立後半世紀を経ても、国の富が国民・市民にほとんど分配されることがない仕組みの起源を、モブツ独裁体制とそれを支えた国際的仕組みに求める。1990年代初めの民主化によって多党制選挙は行われるようになったが、選挙は争点がなく、政府が選挙を操作する。経済面では1980年代、90年代に「北」から押しつけられた経済改革が不調で経済発展に結び付かない。2000年代以降「資源のアフリカ」となり、経済成長するアフリカに移行するが、自国の資源を輸出することで国民の消費が維持される構造である。インフラの建設は中国が代替し、アフリカ側の国民による国づくりのシナリオは描かれない。


2.地理的条件と環境問題

 『経済大陸』が主に今世紀に入ってからの時期を対象としているのに対して、『入門』は少し遡って20年前に言及することもある。そこで最初に『入門』の章別構成に合わせて本稿を展開したい。『入門』は第1章「所変われば品変わる」で、アフリカの地理的、環境的条件を説明し、アフリカの地域的特徴に触れている。J.サックスが指揮した国連のミレニアムプロジェクトの報告書Investing in Developmentでは、アフリカの地理的条件が、気候、地形、熱帯病などにより、アフリカを貧困に押しとどめているとして発展の制約要因として見ていたが、勝俣氏はアフリカの地理的条件の多様性を強調している。そして砂漠化対策、森林破壊、地球温暖化を取り上げ、グリーンベルト運動のような植林活動の成功は、地元の資源や知識を活用し、考える住民(「市民」)づくりに結び付いているからだとして、運動の担い手の重要性を主張している。


3.政治・民主化

 『入門』の第2章「民主化の二〇年」、第3章「独立は誰のために」、第4章「ポスト・アパルトヘイトの今」は大きく括れば政治の問題である。勝俣氏は、独立とは「自国の富を自国民が、自国民の福祉と産業の発展のために利用する能力と決定権を掌中に収めること」だとすれば、コンゴ民主共和国のような国は未だ独立していないと判断する。1990年前後にアフリカのほぼ全域で起きた「民主化」は1960年代の政治的独立にも匹敵するといわれた大きな変化であり、1980年代以降の「構造調整」を入口とする経済自由化とセットになって、アフリカの政治経済の体制を転換させたといってよい。しかし勝俣氏によれば、民主化で多党制の選挙が行われるようになったとはいえ、選挙では政策やビジョンの選択が問われず、自分たちのリーダーを当選させようとする集団同士のゲーム、「争点なき選挙」になっていて、暴力事件も多発する。国籍条項を導入して有力な野党の大統領候補を選挙戦から排除するといった操作が、ザンビアとコートジボワールで行われた。アパルトヘイトを廃絶し、黒人多数支配に移行した南アフリカ共和国は、全人種・民族の共生を理念としている。しかし今日でもアフリカ随一の経済大国でありながら、著しい貧困と格差を再生産している、まぎれもない「南」の国だと『入門』は指摘する。「民主化」とは、どうしたら人々が安心して生活改善ができるかを考える人々が育ち、その描く社会像に政治という形を与えていく営みだという。ここに、政治と経済の結び付きを見ることができる。


4.食料・農業問題

 『入門』の第6章「飢えの構造」と『経済大陸』の第3章「食料安全保障をおびやかす震源地」はともに食料・農業問題を扱っているが、その取り上げ方は若干異なる。『入門』は「飢餓大陸」、食料不足のアフリカとして、食料不足、栄養不足に焦点をあて、『経済大陸』は農業の低開発と農村の貧困に注目する。平野氏がここに注目するのは、ようやく実現した持続的な経済成長にもかかわらず、これがために人口の多数が住む農村に成長の恩恵が浸透せず、経済成長と貧困、所得格差の拡大が併存しているからだ。またアフリカの食料不足は穀物輸入の増加となって、グローバルな問題と化す。さらに平野氏は、資源ブームによる経済成長で農業問題がかすんでしまった感があるが、都市化の進展で食料問題の重要性はかえって高まるという。
 平野氏は、膨大なデータを集計、加工して、統計的に動向をあぶり出していく。アフリカは穀物輸入を長期間にわたって増加させていて、それはアフリカの農業の生産性が停滞している故に起きている。

 食料・農業問題をどのように解決するか。勝俣氏と平野氏は異なる解決策を提示している。平野氏は、生産性を上げるための肥料産業の育成、アフリカ諸国政府の強い政策意思、政府や援助による技術などの農民支援を挙げている。平野氏は、この問題は構造的なもので解決は困難だとする一方、アフリカ大陸で食料が不足しているのであれば、それだけ市場(需要)があるということでもあるので、余剰食料を生産できる国があれば成功するだろうとしている。そのような可能性のある国としてザンビアを挙げている。ザンビアは、隣国ジンバブエでムガベの土地収用政策により土地を失ったヨーロッパ系の大農場主を受け入れた。平野氏はこれをもってザンビアの穀物生産の増加の主要因としているが、要因としては肥料補助金の復活、灌漑(小規模、大規模ともに)の普及、政府の買上価格などいくつかある。仮にジンバブエからの大規模(商業)農家の貢献が大きいとしても、平野氏自身が指摘するように、人口の多数を占める小規模農民の生産性を引き上げるという課題は残るのではないか。『経済大陸』は政治・国家(政府)を扱った独立の章はないが、ここで指摘された政府の強い政策意思、ヨーロッパ系農民の受け入れなどは政治にかかわる問題である。

 アジアで食料自給の達成に大きな役割を果たした「緑の革命」をアフリカでも導入しようという主張があり、実際に国連などでアフリカ版「緑の革命」を推進しようとする動きがある。しかし、勝俣氏は「緑の革命」に懐疑的である。モンスーン・アジアとサバンナ・アフリカの違い、食料不足を低生産性に求め、人口増加と食料生産の関数として見る新マルサス主義的な見方への懐疑が言及されている。農民は地域の土壌など自然環境について豊富な知識を持っており、農民は無知、援助者は知識があるという前提での技術移転はうまくいかないというのが勝俣氏の見立てである。勝俣氏は、低生産性は複合的な要因によるとする。平野氏は、低生産性とその停滞に原因を求めているが、勝俣氏が指摘するように「無知な農民」とみなしているわけではない。コストの高い高収量品種と化学肥料を使用するよりは、収量は低くてもアフリカの環境にあった伝統的品種を栽培する方が「合理的選択」だからである。


5.国際開発と援助

 『経済大陸』では論の中心は今世紀に入ってからの時期についてであるが、国際開発と援助については、平野氏はその起源である第二次大戦直後まで遡って基本的特徴づけをしている。そこでは、平野氏の慧眼により、従来あまり指摘されなかったような特徴づけがなされている。すなわち、開発はナショナルな課題であったが、国際的枠組みでとらえる「国際開発」が第二次大戦後に登場した。それは基本的人権が世界の全ての人に保証される前提としての開発であった。しかし、実際の開発は途上国の国家が主導する国家単位の競争のなかで進んだ。先進国のODAも、国際開発の理念とは異なる動機や経緯で始まった。


6.構造調整

 資源需要と中国が牽引する21世紀のアフリカ。その前の時代にアフリカが直面した国際的な枠組みが、世界銀行が作り出した構造調整というアイデアであった。『入門』の第7章「ワシントン・コンセンサスから『北京コンセンサス』へ」は、その前半において構造調整の時代を扱っている。1980年代と90年代の構造調整の時代にはアフリカ諸国側は構造調整を受け入れざるを得ない状況にあったので、ほとんど全てのアフリカ諸国が世銀の構造調整融資を受けるなど、世銀の影響力は絶大であった。また勝俣氏によれば、構造調整の時代は、北の債権国の力を背景とした国際金融機関と生き残りを図る「南」(=アフリカ)の政権との間の攻防の20年であったという。構造調整の時期に、アフリカ諸国は公営企業が民営化されて、再び外国資本が席巻する状態に戻った。勝俣氏は、「結果として自国民の富を外国に売り渡しているのではないかという怒りや不信感を高めた」と書いているが、経済成長、経済発展には外国が投資する、外国資本が参入してくることが必要である。そうだとすれば外国資本が入ってくること自体を問題視するのではなく、民営化の際の売却価格、民営化後の業績や社会貢献などで判断するべきではないだろうか。
 『経済大陸』は、構造調整が効果を発揮できなかった理由として、想定されていなかった成長阻害要因がアフリカには存在していたからだと推論する。平野氏は、そのなかでも農業の要因がもっとも大きいと考える。


7.中国

 『入門』の第7章「ワシントン・コンセンサスから『北京コンセンサス』へ」の後半と『経済大陸』の第1章「中国のアフリカ攻勢」は中国を取り上げている。『入門』が描くように、2000年代初め以降、資源ブームを背景として中国、インド、ブラジルなどの「新興国」がアフリカに進出するにつれて、1980年代以降、アフリカの経済政策に大きな影響力を行使してきた国際金融機関とワシントン・コンセンサスの神通力は失われた。代わって中国が、その経済規模やビジネス手法からして21世紀のアフリカのパートナーになった。『経済大陸』は21世紀のグローバル化するアフリカは中国を抜きにしては語れない、中国を見ずしてアフリカの変貌はわからないという理由で、「中国のアフリカ攻勢」を第1章に置いている。

 中国のアフリカとのかかわりは1955年のバンドン会議に遡る古いもので、南部アフリカの人種主義的支配への対抗を支援したタンザン鉄道建設など、政治的動機の強いものであった。中国・アフリカ関係は新たにビジネス中心へと大きく舵を切っていく(勝俣)が、それは資源権益を確保しようとする中国の戦略によるものであった(平野)。『経済大陸』は中国のアフリカ進出の動機や経緯、特徴をデータを交えて詳述しているが、アフリカとの関係および日本との比較の観点から重要なのは、2000年頃に資源確保から始まった中国の進出は、その後10年間で多分野にわたる包括的なものになったことである。
 中国の援助と経済関係(投資、貿易、観光など)の拡大がアフリカにどのような影響を与えるのか、あるいはどのような意味を持つのかを検討してみよう。

 第一に、アフリカ諸国の政府にとってはドナーあるいは経済関係の相手において選択肢が増え、交渉力が強まったと考えられる。アフリカ諸国の政府にとって、中国の援助は好都合な機会であった。
 『入門』によれば、「アフリカ諸国の政府は20年余りにわたり」国際金融機関から「援助条件と引き換えに」政治・経済運営に口出しをされ、冷戦後のヨーロッパとアメリカの「保護者的振る舞いや説教」にうんざりしてきた。「アフリカ側の欲する物と中国側の欲する物」とをひたすら取引する中国の方式は、またとない機会である。欧米のドナーが援助を梃子(てこ)に、アフリカ諸国に経済政策・制度の改革やガバナンスの改善を迫ることが難しくなると考えられる。また、スーダンやジンバブエのように経済制裁が科されている(あるいは提案されている)政権を中国が国連の場などで支持することで、効果が失われるという懸念がある。この点の指摘は、欧米のマスメディアや研究者からもしばしば行われてきた。ロットバークも、中国は独裁者を甘やかし、「民主主義と繁栄を広めようとする西洋の努力を浸食する」という2008年のEconomistの記事を紹介している。しかし、援助条件で経済改革や民主化を迫る方法は効果的でなかったという批判もあり(イースタリー;W. Easterlyなど)、貧困削減戦略書でオーナーシップやパートナーシップが謳われたように、この方式は中国の進出がなくとも修正されたであろう。

 第二に、勝俣氏は中国が資源と引き換えに大規模なインフラ整備をすることは国づくりの代行であり、中長期的には国づくりの課題を先延ばしにしているという。とくにアフリカ諸国の政府がインフラ整備事業を中国に丸投げすると、中国が労働者まで自国から連れてきて丸抱えしてしまう傾向と併せ、援助事業には技術移転や人材の育成、雇用の創出が伴わないことになる。しかし、中国としては期限までに施設やインフラを完成させ、引き渡すことを重視しており、その過程での技術移転や雇用の創出は二の次だからである。一方、この点で中国だけを非難できないという見方もある。日本もかつて、日本企業による施工故に質の高い建物などができ、期限までに完成するとことが可能だと主張していた。

 第三に、中国の援助や投資は、密室で決められたり、贈収賄を伴ったり、法を遵守していなかったりするなどの問題を引き起こしてきた。「政府との密室交渉に終始していて、どこまで人々の生活(中略)に結びつくか明確でない」(『入門』)。アンゴラにおける中国輸銀融資の不正使用やナミビアでの中国企業の贈賄(『経済大陸』)。ザンビアでは中国企業でのアフリカ人労働者の賃金水準や労働環境の劣悪さが問題になり、2006年には国政選挙の争点にもなった(『経済大陸』)。

 第四に、安い中国製品の輸入は消費者には恩恵を与えるが、国内製造業の発展を阻害するといわれる(『入門』、『経済大陸』)。


おわりに

 勝俣氏、平野氏の分析を総合すると、次のような図が描けるだろうか。グローバル化は機会を与えるが、それを活かせるか否かはアフリカ諸国の政府や人々にかかっている。アフリカは前世紀末には世界の最底辺、南のなかの南に位置づけられていたが、引き続き最底辺であるかどうかは自動的ではないと考える。平野氏のいう自立性に欠けた構図を、いかに自律的な発展パターンに持っていくか。それには、農業・農村開発による貧困削減が必要となる。国づくりを主導する国家と発展の担い手としての国民が鍵を握る。勝俣氏は、変革の主体としてアフリカ社会に創り出される「市民」に将来を見ようとしている。


<参考文献>
1)勝俣 誠 2013 『新・現代アフリカ入門』岩波新書
2)平野克己 2013 『経済大陸アフリカ 資源、食糧問題から開発政策まで』中公新書
3)Rotberg, Robert I. 2013 Africa Emerges Polity Press, Cambridge, UK

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