ジンバブエの現状と再建・復興に向けた
今後の日本の開発支援 1. 農業を取り巻く歴史と現状 ジンバブエ農業の歴史は、(1)人種隔離植民地時代(1890〜1980)、(2)小規模平等農業改革に伴う成長時代(1980〜1990)、 (3)経済構造調整時代(1991〜1999)、(4)第一次土地改革時代(First Track Land Reform: FTLR, 2000〜2008)、(5)経済回復時代(2009年から現在)に区分される。土地改革は2回に大別され、1980年の独立から17年間の(2)・(3)にあっては自発的土地売買によって、ECをはじめ各国が共同体農家を対象に支援し、日本はニャコンバおよびマシンゴで無償資金協力を実施し(図1)、「アフリカの穀物倉庫」と呼ばれる程のアフリカの優等国になった。しかし、2000年以降のFTLRは白人農家からの土地強制収用(無補償)であったため、EUが制裁を課し、それを受けたジンバブエの社会経済は混乱してハイパー・インフレーションとなり、農業生産性は大幅に低下した。なお、FTLRで新たに発生したおおよそ6ha以下の小規模農家はA1、おおよそ6ha以上の大規模農家はA2と呼ばれている。 図1 ジンバブエにおける日本の開発支援
一方、南部アフリカ地域には地下資源および農産物と世界市場を結ぶ回廊が十有余ある。そのうち、同国のほぼ中央を南北に縦断してコンゴ民主共和国と南アフリカ共和国のダーバン港を結んでいるのが南北回廊、同国の首都ハラレ(複数のルートがあって一部は南北回廊と重複もして、コンゴ民主共和国やタンザニアまで伸びている)と東の隣国モザンビークのベイラ港を結んでいるのがベイラ回廊である。 南北回廊はアフリカ南部地域における経済発展への貢献度、費用対効果、事業実施容易度の観点から第5回アフリカ開発会議(TICAD V)の最優先回廊のひとつであり(後述)、縁辺には共同体農家のゾヴェおよびトクウェ・ムコシ地区がある。 農業は同国総人口の70%、国内総生産の14%(2011)を占め、灌漑施設の整備済み面積は農地面積150万haのうち1割超の18万7000ha(実灌漑面積はその7割の13万6000ha)である。詳細は「3.農業農村開発マスタープラン」を参照されたい。全般的に降雨量は少なく、とくに南部地域は年間雨量が500mm前後の乾燥地帯で、FTLR以降、メイズやコムギといった穀物の生産性は低下して輸入に頼る一方、近年、タバコや綿花などの換金作物は伸びていて、食料安全保障が中心的課題となっている1)。 2000年までに全土でおよそ8000か所の貯水池を築造し、主要既存貯水池126か所の貯水量は約61億トンに及び、その大半は灌漑目的であるが水の活用は十分でなく、さらに総計21億トンに達する17か所のダムが建設中、あるいは計画されている。農業の大半を占める天水依存農地における実際の生産量は潜在生産量の約2〜3割程度でしかなく、灌漑整備による増産効果は大きい。 2. 専門家派遣要請の背景と国家再建・復興へ ──世界銀行の調査と「国家灌漑政策と戦略」 灌漑用水の活用が不十分な理由は乾燥地のために、総取水枠の10%に取水制限(周辺国は20〜30%)をしているということもあるが、FTLRの農地再配分が全体計画、管理体制、作付体系や市場対応などを十分に調整したものでなく、そのために灌漑全般の運営管理が課題となったためである。そこで、かつて無償資金協力を実施したニャコンバおよびマシンゴ地区も含め、灌漑開発・運営管理に関し、同国灌漑局から国際協力機構(JICA)へ専門家派遣要請がなされた。 FTLRによって、新たにA1、A2農家が生まれるなど、農業全体の社会経済体制が大きく変貌したことから、世界銀行が農業省職員とともに、灌漑全般および農家経済などの現状と課題の把握、解決策の検討に向けて、2012年に「全国110の灌漑区」、「全国300の代表農家」を対象に各々大項目で8、11、詳細には約70、100項目にわたるアンケート調査を実施し、その双方の回答を8テーマ(13課題)に取りまとめた(表1)2)。 表1 世界銀行による調査結果から取りまとめられたテーマと課題
なお、筆者は当初から関わっているのであるが、灌漑局はアンケート作成に際して農家が対象であるからと、世界銀行から示されたアンケート内容をいっそう平易な表現に編纂(へんさん)し直すとともに、アンケート結果や課題の取りまとめなどに関し、数十回に及ぶ議論を重ね、さらには関係者全員が国の直面している課題を共有し、自ら解決することが大事であるとして、ワークショップを開催するなど、真剣に取り組んでいる。 3. 農業農村開発マスタープラン(今後50年)と農家の現状2) 短期(0〜5年)、中期(6〜20年)、長期(21〜50年)のマスタープランは表2のとおりである。基本として短期的には2000年以前への農業生産性回復(リハビリ)であり、中長期的には新規開発である。 表2 農業農村開発マスタープラン(今後50年)
(単位:ha %)
4. 日本の開発支援地区の現状と国際的支援の拡大 (1)ニャコンバ地区無償資金協力3,4) 本地区は1995〜1999年にかけて、2回にわたり、全5ブロック(A,B,C,D,E)を日本で設計し、BとCとDは工事が完了して効果が発揮されているが、Aは政府の自助努力で一部資材を準備し施工したがFTLRの混乱で完成せず、Eは全く手がつけられていない。 本地区では、2006年の台風洪水で全機場が浸水し(写真2)、2007年からのハイパー・インフレーションと2009年のジンバブエドル廃止に伴い、管理費が紙屑になったにも関わらず、コミュニティで分担し助け合いながら、受益者と政府関係者からなる灌漑管理委員会において、稼動可能な機場をやりくりしながら稼動させて、適切に水を配分し農業を営んでいる。このことは、驚き以外の何物でもない。委員会は各ブロックとも、議長、副議長、収入役、幹事、副幹事、そして2〜4人の委員からなる。浸水したために機場は完全に機能するわけでなく、当初計画量の約50%の配水となっている。早急なフォローアップ実施が望まれる。1ブロック当たりの受益面積は約100〜200ha、受益者数は約100〜200戸、1受益者当たりの面積は約1.0haである。 写真2 2006年4月3日の洪水時の最高水位が白文字にて
「MAX FLOOD LEVEL 4・3・06」と示されている (2)マシンゴ地区と中国─OECD開発援助委員会調査団5)
(3)第5回アフリカ開発会議(TICAD V)による南北回廊開発(ゾヴェおよびトクウェ・ムコシ地区)6) 南北回廊縁辺に位置するゾヴェ、トクウェ・ムコシ地区の詳細計画などは未策定で、マスタープラン調査やフィジビリティー調査が必要である。 ゾヴェ地区はゾヴェダムを有し、受益面積は3350ha、受益者は2340戸である。かつて、アフリカ開発銀行により開発調査がなされて、一部資材も現地に置かれてはいるが、FTLRによる混乱で水路の建設はなされていない(写真4)。シトラス栽培を州の基幹農業とし、南アフリカ資本のシトラス加工工場1か所が稼働中である。生産量は潜在能力の25%程度で、州は栽培面積を拡大する意向があり、開発への期待は大きい。 写真4 放置された砂利
トクウェ・ムコシ地区ではトクウェ・ムコシダムを建設中で、貯水容量18億トンは国内最大のカリバダムに次ぐもので、既存農地1万ha、新規開発農地1万5000haに恩恵をもたらすものと期待される。南アフリカ資本の製糖工場2か所で約4万5000haのサトウキビを栽培しているが、両工場とも日処理量は約1万トン、年間原糖生産量は約60万トンである。工場の生産能力には余裕があるが、灌漑用水不足が面積拡大の支障となっていて、2014年にトクウェ・ムコシダムが完成すれば、新たな灌漑計画が期待される。 (4)国際的支援の広がり ブラジルが9800万ドルのニャンガ地域を対象とする開発融資を開始し、EUは灌漑無償プロジェクト(600万ユーロ)の実施を検討するなど、国際的支援が拡大してきている。著者は2013年10月のEU会議に参加したが、対象地区選定に関して維持管理体制や持続可能な農業が課題となり、ドナー間でも評判の高いニャコンバやマシンゴのプロジェクトの取り組み方などを簡単に紹介した。 おわりに (乾燥畑作地帯の子女の水汲み実態と国の再建・復興へ向けて、いっそうの開発支援を!) 写真5のニャコンバの子女の実態をご覧頂きたい。ニャコンバはガイレジ川が近くを流れていながら、子女が辛そうに水を運んでいる。しかも、集落までの距離は数十メートルどころではない。1km近くあったように思える。これが水の確保が困難な乾燥畑作地帯の農家の生活実態である。マシンゴやゾヴェはニャコンバとは異なり、周辺一帯の年間雨量は500mm前後以下の乾燥地帯で乾期の河川水位は低く、ニャコンバよりも生活がいっそう辛そうに見受けた。灌漑局幹部によれば、ニャコンバやマシンゴよりも乾燥して、水の確保がきわめて困難な、未だ手の差し伸べられていない共同体地域が、まだまだあるとのことであった。 写真5 子女の水汲み。重くて辛そうである
これら地域では、写真の子女より、もっと辛い生活であろうことは想像に難くない。しかも、先に述べたように、この国の農業はタバコや綿花などの換金作物の生産は伸びているが、主食たるメイズは輸入に頼り、とりわけ共同体地域の農業は大半が天水依存のために、生産性は潜在生産性の2〜3割にとどまり、干ばつのような事態を迎えれば自家用食料さえ賄うことが困難になる。食料安全保障はもっとも脆弱で、乾燥畑作地帯では水の確保が何よりも最優先課題なのである。 筆者はジンバブエの歴史や文化を理解するためにショナ語を習っているが、朝の挨拶「おはようございます」は「Ta mukase?(タ ムカセ)」(If we wake up fine, we are fine?)と「Ta(私たち)」を使い、「Ta muka hedu(タ ムカ ヘドゥ)」(We are fine)と応える。この「私たち」の意味は目前の「私たち」のみではなく、その家族も含めた「私たち」であり、つまり「みんなが幸せならば、自分も幸せ」なのであり、他人の気持ちを自分の気持ちとする言語文化に根差し、純朴で真面目である。 たとえば、これまで述べてきたニャコンバやマシンゴの施設維持管理にみられるように、教えられたことや与えられたものは大事にしている。ニャコンバに調査に出向いたときに、ブロックAの長老が「是非、私が生きているうちに機場を完成させて欲しい」と話され、集まった女性のなかには頷(うなず)きながら涙を拭く人もいた。また先日、筆者は職員の結婚式に参加したが、ある職員は余興の自分の持ち場が終わると、直ちに業務出張に向かった。しかも、土曜日のことである。農業省職員は常に農家の生活を考えていて、真面目で農家を親身に思いやる惻隠(そくいん)の情が深い。 従来から支援している世界銀行、国連世界食糧計画、国連食糧農業機関や中国、スイスはもとより、制裁を課していたEUもジンバブエ灌漑技術研究所などへの支援も含めた灌漑無償プロジェクトへの支援の検討を開始している模様であり、ジンバブエ側も再建・復興に向けて、積極的に国際的支援を受け入れている。今後は自ら国を運営管理(Management)していくことがもっとも重要であり、その一環として「国家灌漑政策と戦略」を策定し、短期的には2000年以前、つまりFTLR以前への生産性回復(リハビリ)、中長期的には人口増加などへの対応も考慮して、灌漑面積拡大を計画している。 農家人口の大半を占め、食料安全保障が脆弱な共同体地域に対し、人道上の負担軽減、貧困削減、食料安全保障の強化を考慮し、再建・復興に向けたニャコンバ、マシンゴ、ゾヴェおよびトクウェ・ムコシ地区における無償資金協力、技術支援協力やこれらを組み合わせた開発支援に、積極的かつ早急に取り組むことが、日本に望まれている。 |