発展途上国がターゲットになる海外農地取得
「ランドラッシュ」── 一般の人にはなじみない言葉であろうが、NHKの総合テレビで2010年2月に「ランドラッシュ 世界農地争奪戦」が放映されてから、食料安全保障に関心のある人々が関心を寄せるところとなった。「領有権」が盛んにメディアを賑わしているが、合法的な農地取得が展開されている事実は、もっと広く認識されてもよいのではないだろうか。 2007年から2008年にかけての農産物価格の急騰は、国家を超えた大規模な農地取得に関するメディア報道の急増と連動している。コメンテーターたちは直ちに「農地収奪(ランドグラブ)」や新たな「世界規模の農地争奪(ランドラッシュ)」といった話に結び付けていたが、一方、こうしたブームは投機によるバブル現象にすぎず、実際の開発プロジェクトにおいて裏付けられることは、きわめて稀であろうと主張する人々もいる。あるいは、発展途上地域の農村に住む貧しい人々の権利や生活が脅かされることを懸念する人もいれば、長きにわたり放置されていた土地資源への新たな投資がもたらす将来性のあるチャンスを指摘する人もいる。これまで、国際的な農地取引の正確な範囲や性質の評価が困難であったのは、信頼できるデータの不足が主な理由である。 ランド・マトリックス・プロジェクト*は、そのようなデータ不足への対応策として企画され、大規模な農地取得に関する情報を照合し、その真偽の検証を試みるもので、売却やリース、租借を通して、農地を使用、あるいは管理、または所有する権利の移譲をともなう取引を記録する。対象となるのは、面積が200ha以上で2000年以降に完了した取引である。 ランド・マトリックス・データベースを基にした本報告書は、大規模な農地取引を分析し、理解を深めるためのもので、以下の点に焦点を当てている。 ・発展途上地域や東ヨーロッパの低・中所得国をターゲットとする農地の取得あるいは投資。ただし、国内の関係者のみが関わる取引は除く。 ・想定される用途が農林業である取引。 ランド・マトリックスの示す数値をみると、当初よりペースが落ちているとはいえ、世界規模で農地争奪が起きていることを裏付けている。取引の多くは、単なる投機や戦略的位置付けではなく、その大多数において取引成立後に履行され、プロジェクトが展開される。 世界規模の農地争奪は単純な構図ではない。多様な投資環境を抱えターゲットにされる多数の国と、さまざまな投資動機を持ったきわめて多彩な関係者が絡んでいる。農地取引には、一件ごとにそれぞれの特徴がある。農地取引自体が内包する複雑さに加え、投資国側には経済力があって、一方でターゲットとされる発展途上国側では土地に関する法制度が未整備であることから、新たな問題が生じている。とりわけ、計画立案や意思決定のプロセス、契約上の取り決め、取引対象となる地域コミュニティの関与度合いや補償についてはきわめて不透明である。また投資の短期的効果、あるいは予想される長期的な効果はほとんど明らかになっていない。ランド・マトリックス・プロジェクトが照合したデータを用いても、大規模な農地取得の状況を読み解くには、まだ大きなブラックボックスが残されている。 このプロジェクトの調査は、以下の5つの主要項目から構成されている。 1.包括的な概要を示し、大規模な農地取得の明白な現状を重点的に取り上げる。 2.ターゲットになる国と地域について詳述する。ここでは投資判断の決定要因に着目し、投資家が従来は見捨てられてきた限界耕作地を対象にしているのかを明らかにする。 3.投資家の帰属する国籍、投資家の名称と帰属する産業部門など、いわば正体を明らかにする。 4.農地需要を世界規模で押し上げている誘因に着目する。 5.農地を明け渡すことへの補償、さらには対象となった地域コミュニティのインフラ整備や雇用創出などの恩恵の評価も含めて、大規模な農地取得のプロセスを取り上げる。 そして、最後に「6.まとめ」を示す。 1.包括的概要 ランド・マトリックス・データベースは、農地取得の規模が、これまでの想定をはるかに上回ると判断される証拠を提示する。 農地への需要急増は2009年をピークとしてはいるが、今日も続いている現実である。ランド・マトリックスに記載されている1217件の農地取引報告によれば、全取引面積は発展途上国にあって、その面積は8320万haに達する。これは国連食糧農業機関(FAO)が示す世界の農地面積48億8900万haの1.7%に相当する。このうち625件(51%)のデータは、信頼できる情報源からのものと判断される。その面積は3270万ha(39%)である。しかし、多くの取引を取り巻く不透明さのために、その正確な規模を特定するのは難しく、報告された取引すべての合計を上回る可能性がある。 報告された取引は、かなりの割合で合法的に権利が移譲され履行につながっている。1217件の農地取引のうち、2620万haを占める403件(33%)は契約済みである。また報告事例のうちの330件(27%)においては、すでに生産が開始されていて、その面積は2100万haに及ぶ。 農地需要は鈍化してはきたが、いまでも続いている。農地取引の報告は2009年をピークに減少したが、実際の契約締結の減少傾向は緩やかである。こうした減少の一部は、農産物価格の軟化や金融危機などに起因する可能性がある。一方で、すでに成立が見込まれる段階にあるきわめて大規模な取引を公表することへの取引当事者の懸念や、メディアの関心が他の話題に移っていることを反映しているのかもしれない。 2.投資の対象 ランド・マトリックスは、投資の対象に関する事実も提供する。それらは世界規模で、あるいはアフリカ、さらには北アフリカ・東アフリカ・西アフリカ・中央アフリカといった地域ごとの分析に加え、管理の状態や経済発展の程度、関連のある自然資源といった項目でも分析可能である。 農地争奪の最大のターゲットはアフリカである。アフリカでの農地取引は754件で世界の取引件数の62%を占め、その面積は5620万haに及ぶ。これはアフリカの農地全体の4.8%、あるいはケニアの国土面積に相当する。ちなみにアジアは1770万ha、ラテンアメリカは700万haである。 報告された取得事例の大多数が数か国に集中している。報告によれば、多くの国(84か国)が外国の投資家のターゲットになっているが、対象となる面積の70%は11か国に集中している。そのうちの7か国はアフリカの国家で、具体的にはスーダン、モザンビーク、タンザニア、エチオピア、マダガスカル、ザンビア、コンゴ民主共和国である。東南アジアでは、フィリピン、インドネシア、ラオスがとくに影響を受けている(図1)。 図1 海外投資による農地取引面積の大きい国
投資家がターゲットにするのは、世界経済から取り残され、飢餓が頻発し、土地制度が未整備な、最貧国であることが、データに示されている。調査結果から、投資家は、現地の人々や地域コミュニティの土地使用権が十分に保護されず、他方で投資家には比較的手厚い保護を提供している国々をターゲットとすることが確かめられた。取引面積の66%は、飢餓が広範囲に発生している国々のものであった。 農地取引件数の43%は、「農耕地」か「農作物と自然植生が混在する土地」を対象にしている。したがって、農耕地をめぐり、投資家と地域コミュニティとの深刻な対立が起こりうる。全国レベルの指標から農地に適した広大な保留地の存在が明らかになっても、ターゲットとなる場所は、すでに一部が耕作されている地域や農地と重なる場合が多い。この分析結果は、「投資の過半は遊休地を対象とするので、そうした土地を新たな生産につなげるものだ」という考え方と相反する。 森林は農地取引で大きな影響を受ける。その取引件数の24%は森林をターゲットにしたものであり、取引面積の31%を占める。 農地取引の分布状況を分析すると、投資家は「収量ギャップ(訳注:収穫可能な量と実際の収穫量の差)が相対的に大きく、水や肥料、種子、インフラ、専門技術といった要素を追加すれば、増収が見込める農耕地」を標的にする傾向がある。アクセスが良好であることも、対象地域を選ぶ際の基準になる。取引件数の半数以上は、隣接する都市との距離がおおよそ3時間以内といえよう。また、取引件数の60%以上は、人口密度が25人/平方キロメートルを超える地域を対象としている。 3.投資家の正体 報道機関は当初、政府系ファンドのような公的機関の役割や投資家の国籍に焦点を当てていたが、大規模農地取得に関わる投資家の全体像を把握するのは未だに困難である。ランド・マトリックスは、投資家のタイプと身元に関するデータを提供する。 ランド・マトリックスの示すところでは、投資家の国籍あるいは投資国は三つのグループに分類される。それは、(1)ブラジル、南アフリカ共和国、中国、インド、マレーシア、韓国といった新興諸国、(2)ペルシャ湾岸諸国、(3)アメリカやヨーロッパの先進諸国、である。またブラジルやアルゼンチン、南アフリカ共和国などの企業が、隣接する地域への投資を通して、自国内での成功の再現を狙う地域内取引が新たに増加しつつある。 投資をするのは食料を輸入する富裕国である。投資元である国々の1人当たりGDPの平均は、投資先となる国の4倍である。前者はまた食料の純輸入国で、1人当たり純輸入額は13.9ドルである。ちなみに、投資を行うだけで投資先にはならない国の1人当たり純輸入額は306ドルである。 投資家は官民両分野にわたる。ランド・マトリックスをみると、投資家の4つのタイプが明らかになる。(1)民間企業(取引442件、取引面積3030万ha)、(2)国有企業(172件、1150万ha)、(3)投資ファンド(32件、330万ha)、(4)官民パートナーシップ事業(12件、60万ha)である。 投資家にとってパートナーシップは重要である。海外の投資家は、12%の事例で投資先の国内企業と協力関係を築いている。複雑な地方行政コストを削減する手段として、またいくつかの状況下での法的理由からであろう。海外投資家間での協力も多く、アメリカ、イギリス、韓国の投資家は、関係する取引の約1/3でこうした協力関係を結んでいる。 4.農地争奪の動機と誘因 大規模な農地取得へと駆り立てる誘因の一つは、農産物への世界的な需要の高まりであり、またより根本的なレベルでは、水や食料、エネルギーに対する将来的な需要予想が挙げられる。農地取得の対象地域や栽培作物に関する投資家の選択には、こうした長期的な動向に基づく予想が反映されている。 農地争奪の誘因は長期的動向である。近年、投資家の関心が急激に高まったが、その引き金となったのは、2007年から2008年にかけての食料価格危機である。しかし、農地争奪は決して短期的な現象ではなく、その誘因である諸動向によって長期にわたり続くであろう。食料・バイオ燃料・原材料と木材・炭素隔離などへの市場需要の高まり、農産物や農地の価格上昇、人口増加、所得増加にともなう消費生活の変化、金融投機なども、そうした主な動向といえる。 投資家は水も手に入れることになる。世界の一部地域では、水不足が農業生産の大きな制約になりつつあり、水資源をめぐる争いを激化させている。ターゲットとなる国の2/3では、大規模な農地取得の結果として水使用量が増えると推定されている。こうした国々の水使用量の増加は、全体で12.7%と予測される。一方、農地取得は、投資国サイドの水資源の需給バランスには好影響を及ぼすであろう。 食用作物も非食用作物も重要だが、投資家はどちらにも転用できる柔軟性を求めている。ランド・マトリックスによって、取得後の使用目的は食料生産が取引件数の34%を占める一方、非食用作物は26%、食料と非食用に転用可能な作物は23%、取得地の多用途使用が17%を占めることが明らかになった。非食用作物と転用可能作物が大きな割合を占めるのは、投資家がゴム(37件)のような伝統的「高価値作物」やバイオ燃料に寄せる関心の高さを示している。 ダイズやサトウキビ、アブラヤシが「転用可能作物」と呼ばれるのは、食用、非食用(主にバイオ燃料)のどちらにも利用できるからである。取得農地における転用可能作物栽培と多用途使用の件数および面積の大きいことが、食用作物と非食用作物の生産量のバランスの維持を困難にしている。また、価格変動や商品化などに関係するリスクに直面した場合、転用の可能性が投資家に重要な意味を持つことがデータから読み取れる。(参考までに大規模な取得事例を表1として作成) 多くのプロジェクトは輸出指向である。生産物の主な行き先に関する情報が入手できる393件においては、輸出が生産の主目的で投資先の国内市場への関心はきわめて低い。輸出指向のプロジェクトのうち、43%は投資元への輸出を目的にしている。こうしたプロジェクトが関心を寄せるのは、主に食用作物の生産で(42%)、「食料の安全保障への懸念が農地争奪の一因になっている」という主張を裏付けている。 5.大規模な農地取得の発生の経緯と影響 大規模な農地取得が懸念される主な理由の二つは、「土地取引の成立過程と履行における透明性」、そして「地域への社会経済的影響」と関連がある。ランド・マトリックスでは多数の事例について、取引をめぐる協議、売買の当事者、土地が取引される前の利用者、その前利用者の立ち退き、補償や雇用、その他の恩恵について、情報が報告されている。 ターゲットとされる発展途上国における土地所有権および実際に耕作をする使用権に係る諸制度は、大規模な農地取引を扱うには未整備である場合が多い。海外投資家の関与は、しばしば現地の農地使用システムに悪影響を及ぼす。海外からの投資を呼び寄せるという見通しが、多くの場合に国家に帰属している「正式な土地の権利」が有するその権利内容を変質させかねないことは広く知られている。権利の割当を差配する村の有力者などが地域を代表しながらも、当該の地域コミュニティの利益を守るために行動を起こすことは稀である。 ターゲットとなった発展途上国政府は、小規模自作農が使用している土地を売却している場合が多い。以前の土地利用に関する情報が存在する限られた数のプロジェクトを分析したところ、投資家が取得した農地は、かつて小規模自作農が使用していた場合が多い。国家に帰属する土地所有権と現地の人々や地域コミュニティの土地使用権という二重構造ともいえる土地システムがもたらす直接の結果として、とくにサブサハラ・アフリカ(サハラ砂漠以南)の諸国では、現地ですでに耕作者がいる土地を国家が売却あるいはリースにしてしまうのが一般的である。 農地取得が「事前の十分な情報に基づいた自由な同意(FPIC:Free, Prior, and Informed Consent)」によることは稀で、強制退去については、限定的ながら懸念される証拠もある。地域コミュニティとの十分な協議を行っているプロジェクトはごくわずかであることが、ランド・マトリックスの証拠から明らかになる。地域コミュニティが関与する少数の事例でも、協議プロセスは概して「限定的なもの」と記されている。さらに、相当数の強制退去につながるプロジェクトも数件報告されている。立ち退きのような微妙な問題に関する情報がほとんど無いのは驚くには当たらないが、取得された農地の大半は、少なくともその一部をかつて地元の農民が利用していたという事実は懸念材料である。 使用していた土地への補償内容は、多くの場合にきわめて低い。ランド・マトリックスでは、限られた事例について、補償に関する情報を提供している。補償措置は、社会インフラあるいは生産に結び付く経済インフラの建設のような地域への現物支給から、影響を被る個々の農民への現金支給まで多岐にわたっている。一度限りの支払いが多いが、いくつかの事例ではリース料金が支払われていて、1ha当たり年間7セントから100ドルまでさまざまである。この金額の開きは、影響を受ける多くの地域で、機能する土地市場や近傍の土地取引価格といった判断材料の不足と関連があり、こうした状況は一部の投資家によって悪用されかねない。また補償やリース料金の支払いは、地域コミュニティに代わって、いわゆる地元当局が受け取る場合が多く、コミュニティの構成員に渡る前に「消えてしまう」可能性もある。 一部のインフラは整備されるが、雇用創出という恩恵を示す証拠はほとんどない。地域コミュニティが、投資プロジェクトからインフラや雇用以外に、どのような恩恵を受けるのかを示す証拠もきわめて乏しい。報告のあった恩恵をもたらすプロジェクトの大多数は、インフラの向上に言及する。その例として、保健・教育関連施設、市場へのアクセスの改善、地元住民が利用可能なプロジェクトのインフラ整備などが挙げられる。 雇用創出に関して限られた情報をみると、いくつかのプロジェクトについては、その効果が大きくなりうる。しかし、とりわけ小規模自作農が農地を使用する権利や仕事を失う場合は、「追加的な雇用創出」と「やむを得ぬ転職」とを的確に区分するのは困難である。 6.まとめ 本レポートは、農地取得の動きが世界的な傾向であり、すでに大きな影響が出ていることを裏付ける。基になったランド・マトリックス・データベースは、この種のなかでは最大のもので、アフリカが主要なターゲットになっている事実を示している。先にも述べたことであるが、2000年以降の海外農地取引面積は、世界の農地面積の1.7%に相当する。 経済力のある食料純輸入国の投資家は、深刻な食料不足をかかえ、しかも土地所有権および実際に耕作をする使用権に係る諸制度が未整備な発展途上国における農地取得を進めている。そうした農地で栽培される、食用あるいは非食用作物のいずれも、多くの場合に輸出用である。 未耕作の広大な土地を有する国で農地を取得する傾向もみられるが、より詳しく検証すると、取引の半数近くは、既耕地に関心を寄せていることがわかる。投資家がターゲットにする利便性に富んだ地域は、収量ギャップが大きく、人口密度も高い。したがって、農地をめぐる現在の利用者との深刻な対立は避けられない。 FPICに基づく農地取得は稀で、強制退去に関して、限られてはいるものの懸念される証拠がある。インフラ整備については若干の報告があるが、雇用創出による恩恵を示す証拠はほとんどない。 大規模農地取得の一部は、森林や牧草地を対象にしているので、環境保全や生計の安定化といった社会的目標とのトレードオフが派生している。ターゲットになる国では、農地取得の結果として、水不足が深刻化する可能性を示す指標もある。 |