ポール・ロバーツ著 神保哲生訳・解説

『食の終焉』
 ─グローバル経済がもたらしたもうひとつの危機─

『食の終焉』表紙

 今日、私たちは日々の暮しで摂取する食材、食品そして食事に対して、良質かつ低価格であることを当たり前のように要求してきている。こうした要望に応えて、スーパーマーケットには世界中から調達されたさまざまな食材が季節を問わず安い価格でそろえられ、街中のファーストフード店やファミリーレストランでは、若者や家族層だけでなく、シニア向けなど利用者の好みに応じ、シーズン毎に洋食から和食、中華とバラエティーに富んだメニューが提供されている。このような状況は、生産、加工、流通が一国内にとどまらずグローバル化した結果もたらされた恩恵であるといえるだろう。

 しかし本書の著者は、「現代の農業は、化学肥料の大量使用や低賃金労働力の不平等な扱い、カロリーの摂取過多など、表には出てこないさまざまな外部コストを生み、もはやこのシステムをいつまで維持できるかが疑わしくなっている。」とし、食を取り巻く環境で、いま何が起きていて、近い将来にどうなるのか、世界各国での綿密な取材にもとづき、一抹の疑問も抱かずに豊かな食生活を享受する私たちに警鐘を鳴らしている。


 著者は、現代の食料供給を考えるには、農業、食品加工業、小売業といった個別あるいは複合産業として考えるだけでは不十分で、「食システム(food system)」としてとらえる必要性を説き、「生産、流通、消費の各段階が相互に影響しながら構築されたシステム」と定義し、このシステムがグローバルに張り巡らされている点に留意することを促している。また、食料が他の消費財と同様に流通経路から販売戦略に至るまで経済活動のなかの「一商品」として扱われている現状に対し、「食そのものは経済活動ではない」とし、他の経済活動と区別するため「食経済(food economy)」という言葉を用いることで、「『食品の経済学的な価値』と『生物学的な価値』の間に発生したズレ」から生じた数々の問題を浮き彫りにしている。


 では、私たちが現在どのような問題に直面しているのか、それらを本著の内容に沿って簡単にみてゆく。

 まず、第T部「食システムの起源と発達」のなかで、第1章において、食と農業に焦点をあてつつ、人類の誕生から食の変遷とその体格形成への影響、余剰農業生産物と文明の始まり、その後の農業技術の改善と化学肥料の登場による飛躍的な農業生産量の拡大、そして現在の過剰生産とカロリー過剰摂取の問題に至るまでの食経済の歴史を概観する。第2章では、利便性に富んだ加工食品の開発、添加物の利用により可能となった大量生産、これら食品加工の発達がもたらしたメリットと加工食品がもたらした食習慣の変化に警鐘を鳴らす。第3章では、一年を通じて供給可能な農産物サプライチェーンが形成され、そこにジャスト・イン・タイムで規格品の出荷を要求する小売店と、それに答えなければ淘汰される生産者との関係、そして外食産業がコスト削減のため、食肉生産・加工の集約化、さらには労賃、法規制の低い地域、国を求めてゆく現状、これらの持続可能性に疑問を投げかける。第4章では、食品の低価格化が、肥満をはじめとした数多くの病気を引き起こす原因のひとつとなった経過を追い、その現象が新興国にも広がりつつある現状を描く。


 続く第II部「食システムのかかえる問題」では、第5章において、世界経済に影響力を持つようになった中国における食料需要の増大と、そのことが招く食経済の変化とリスクの拡大について述べる。第6章では、アジア、中南米で成功した「緑の革命」が、アフリカで成功しなかった理由をケニアの事例をもとに探る。また同じくケニアでのコーヒー栽培事例をもとに、発展途上国における輸出先導型農業の限界と自由化された食経済がもたらす弊害を述べる。第7章では、経済的で効率的な食システムが、ヒトへの病原菌感染リスクを拡大している現実を、外食産業、野菜栽培の事例をもとに明らかにする。第8章では、人類進化に影響を与えた肉食を題材に、飼料となる穀物生産と飼料効率が限界に達しつつも増え続ける食肉消費、そして現在の食システムがもたらした、大きな外部費用と近い将来、食料生産のボトルネックとなる石油、水資源および農地の不足に言及する。


 最後に第III部「食システムの未来」では、第T部および第U部で述べられてきた数々の問題に対する処方箋を模索する。まず第9章では、遺伝子組み換え作物導入およびその賛否に関する議論、またオーガニック農業の現状にふれる。第10章では、日本やアメリカでの複合農業、不耕起農法、イタリアでのスローフードに代表される地産地消運動など、小規模ながら持続的な生産システムの例を挙げる。また著者はエピローグのなかで、現在の食システムの崩壊シナリオを確率の高いアジアを始点として描く一方で、キューバでの食料生産モデルの転換や、地域型食システムの構築、海洋での水産養殖規模の拡大といった、問題解決に向けた有効な解決策を示しつつも、最終的な問題として食肉需要を低減することの難しさを挙げている。


 本書で示される複雑かつ多様化した多くの問題に対し、一瞬、手の打ちようが無いのではないかと絶望感にとらわれるが、著者は私たちに非常に簡明な、しかし難しい解決策を示している。それは、消費者である私たちが食システムを変える行動を起こすことである。
 本書は、日本、海外で農業生産に関与する者として、食に関する現状を知り、また消費者としての私たちの行動を見直す機会を生み出すために有効な一冊である。

独立行政法人 国際農林水産業研究センター 農村開発領域 主任研究員 山田雅一

*ダイヤモンド社刊 本体価格 2800円

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