逆境が創造の原点
─「株式会社葛巻町」の挑戦─

社団法人 葛巻(くずまき)町畜産開発公社顧問 葛巻町前町長 中村哲雄

1.日本一の過疎の町、岩手県葛巻町

 葛巻町は、日本の過疎地域において2010年過疎地域自立活性化優良事例として総務大臣表彰を受賞した。町は、急峻(きゅうしゅん)な山々に囲まれた中山間地域に位置している。中山間地域であれば、例外なく望まれるスキー場も無い、温泉も、ゴルフ場も、鉄道も、高速道路のインターチェンジも無い、ないない尽くしの町、まさに逆境である(面積4万3499ha、人口約7800人、約2900世帯)。私は、この地域が持つ資源と機能と人材を活かして、合併によらない持続可能な地域づくりを目指してきた。
 酪農と林業が基幹産業で、酪農は200年の歴史があり、東北地方で一番の酪農地帯である。葛巻の酪農振興の拠点として、日本一の公共牧場「くずまき高原牧場」がある。
 林業は、独創的な経営により林業振興を図ったとして、林野庁長官賞で山力大賞(やまじから)を受賞し、葛巻町森林組合の取り組みが日本一となった。林業の特別な産品である山ブドウを原料とするワインの醸造を計画し、1986年にワイン工場を建設、今では、美味しいワインが有名な町である。

 1999年3月に新エネルギービジョンを作成、6月には3基で1200kWの風力発電を開始して、それ以降も積極的にクリーンエネルギーを導入し、現在では風力発電施設2か所で15基(写真1)、中学校には太陽光発電、くずまき高原牧場には畜産バイオマス発電と木質バイオマス発電の施設を設置した。

写真1 袖山高原牧場に建設された風力発電施設
写真1 袖山高原牧場に建設された風力発電施設

 また、家畜の排泄物から燃料電池を製造する実験施設をくずまき高原牧場に設置して東北大学(当時)の野池達也教授、岩谷産業、三洋電機、オリオン機械、清水建設、葛巻町、葛巻町畜産開発公社の産学官で取り組み、生研機構(生物系特定産業技術推進機構)の支援を得て挑戦し、世界で初めて成功した。

 さらに、民間の葛巻林業株式会社が日本の先駆けとして木質ペレット燃料工場を建設し、現在も稼働している。これらの再生可能エネルギー施設がそろっていることにおいて、葛巻町は「日本一のクリーンエネルギーの町」である。

 こうした実績によって、社会経済生産性本部より「自治体環境グランプリ」、東京商工会議所の関係者で組織する日本ファッション協会より新しい町を創造したとしてクリエイション大賞「町づくり創造賞」、「環境大臣表彰」、「バイオマス利活用農林水産大臣表彰」を受賞するところとなった。

2.地域資源と人材を活かした第三セクターによる地域活性化

 葛巻町は、1970年代に国の補助事業を導入して酪農の規模拡大を図り、効率の良い酪農経営を実現するために146億5000万円の資本を投入して、牧場を結ぶ道路建設、牧草地の造成、牛舎建設、機械導入などの酪農団地を建設して、公的機能を発揮する公共牧場を経営するために社団法人葛巻町畜産開発公社を設立した。

 私は、役場職員6年目にこの牧場に派遣された。現在は、町内に3牧場(くずまき高原牧場、袖山高原牧場、上外川高原牧場)と町外6市町村の6牧場を借りて、当初計画の250%に相当するウシ2500頭を飼養するほか、特産品開発や環境教育や食育(写真2)などの人間教育も実践している。いずれも、雇用の場を創造することを目的にした挑戦で、結果として14事業を構築し、110名に及ぶ雇用を創出し、売上高約11億円、累積黒字約1億円という経営を実現している。

写真2 子ども農山漁村交流プロジェクト受入モデル地域での「牧場体験学習」
(左:自炊体験、右:シイタケ栽培体験)
写真2 子ども農山漁村交流プロジェクト受入モデル地域での「牧場体験学習」

 くずまき高原牧場には年間30万人が訪れるようになって、「オーライ(往来)日本大賞」、都市と農村の交流を推進した優良事例として「グリーンツーリズム大賞」、日本一の畜産を実践しているとして「畜産大賞」、日本の農業全体のなかで日本一の実践をしているとして「日本農業賞大賞」を受賞し、名実共に日本一の公共牧場となった。
 1986年、地域に自生していた鉄分の多い山ブドウでワインを造ろうと、葛巻高原食品加工株式会社(通称くずまきワイン)を設立してワインの醸造と販売を創業した。当初は、醸造技術、販路拡大にも苦戦して赤字が続いたが、鈴木重男現葛巻町長が常務取締役に就任して、クリーンな環境をイメージした「ほたる」を商品開発して飛躍的に売上げを伸ばした。

 また、毎月各地のホテルと連携して「くずまきワインパーティー」を開催して、くずまきワインのファンを増やしていき、4年間で売上げを45%伸ばして、赤字ゼロ、借金ゼロの会社に再建した。現在では従業員40名、売上高約4億円、累積黒字約5000万円のワイン会社となり、ブランデーも醸造し、くわえてレストランも経営して、国産ワインコンクールで銀賞、銅賞を受賞できるようになった。また、「魅力ある葛巻高校の創造」に貢献するために、ドイツに8年間で50名の生徒と先生を10日間にわたって派遣している。

 1993年、昔は宿場町だった葛巻町に宿屋が1軒もなくなり、町が中心となり株式会社グリーンテージくずまきを設立して、ホテル経営を創業した。ここは迎賓館的役割や都市との交流の拠点として、また視察者の宿泊施設として役割を果たしていて、従業員20名、売上高約1億7000万円で黒字経営である(写真3)。

写真3 酪農をイメージした宿泊施設、グリーンテージ
写真1 酪農をイメージした宿泊施設、グリーンテージ

 第三セクター3社(くずまき高原牧場を経営する社団法人葛巻町畜産開発公社、葛巻高原食品加工株式会社、株式会社グリーンテージくずまき)で合計すると、売上高約16億7000万円、累積黒字約1億5000万円、従業員170 名となる。なお、従業員のうち80名が都会からの帰郷者で、元気で活力溢れる町のイメージアップと経済活性化に貢献しながら事業が成功をおさめ、マスコミなどに注目されて、多くの視察が訪れることは町民の自信と誇りにつながっている。

 このような現在の状況は、1955年の町村合併から今日まで歴代の町長と議会、町民が失敗を恐れず情熱を持って、限りない町の発展を夢見て積極果敢に挑戦してきた結果である。
 私は、1971年に役場職員になり、町営牧場の管理、運営や畜産行政など畜産担当を5年間務めていた。当時の高橋吟太郎町長が、効率の良い酪農経営を実践して規模拡大を図り、国際競争、国内産地間競争で生き残れる酪農地帯を目指し、大規模酪農団地開発を実践して公的機能を持った牧場を第三セクターで経営するために、公益法人として社団法人葛巻町畜産開発公社が設立された。役場職員6年目の私は公社に派遣となり、創設から23年間(業務主任、事業部長11年5か月、専務理事11年7か月)務めた後、99年8月に第5代の葛巻町長に就任した。町長は公社の理事長なので8年間、そして現在は顧問として、通算して公社に36年間にわたり関わってきた。


3.葛巻町の経営

 葛巻町の運営については、株式会社の発想をもって、企業的感覚による経営を目指して取り組んだ。町長就任時の訓辞は「役場の仕事は、サービス業、顧客である町民の満足度を向上すること」、「常に問題意識を持ち、プロとして質の高い業務を遂行すること」、「当たり前の事を、他の人よりも一生懸命やること」、「情報の量が仕事の質を決定する」などの意識改革を唱えた。

 一方、国の状況は税収が65兆円から40兆円へと激減した時代であり、効率の良い地方自冶体経営が求められ市町村合併が強力に推進され、国から地方への交付税交付金は蛇口を閉めるように前年対比で年1億〜3億円も削減された。私が就任した1999年は36億円の交付金で、それを基準に計算すると8年間の累計で約50億円が削減された。こうした状況下での町政運営なので、「59歳定年制」、「職員50人削減」、「課の統合による課長職6ポスト削減」などの行政改革を断行、黒字決算とし、借入金約20億円の削減など財政改革を実現した。議会は議員定数を6人削減し10人に、農業委員会は8人削減し14人にした。


4.21世紀の課題「食料・環境・エネルギー」への取り組み

 就任の当初から、町長として何をするのか「問題意識の塊」になっていたが、間もなく21世紀が到来した。多くのマスコミ報道のなかに「世界人口はいずれ100億人になる」、「食料を生産できる耕地の砂漠化が500万ha、森林の純消失面積が520万ha」という報告があり、これに衝撃を受けた。まさに、「地球の危機」に気づいたのである。

 それから、猛然と情報を収集して、ますますその深刻さがわかった。財政力の弱い、小さい山村であることも忘れて、「町が持っている多面的資源と機能を最大限に活かして、21世紀の地球規模での課題である食料・環境・エネルギー問題の改善に貢献していれば、町の発展的状況が構築できる」と唱え、基本方針を明確にするために、「環境エネルギー政策課」を設置した。後に「農林環境エネルギー課」に改編して、積極的に取り組んだ。

 「食料問題への取り組み」は、「現在、世界の食料不足人口は約10億人」、「世界の餓死者880万人」という問題に対して、酪農、畜産、農業を振興して、日本の食料自給率を高めて世界市場からの輸入量を削減することによって間接的に、また食料の現物支援によって直接的に貢献しようと考えた。牛乳の生産量は、私の在任中に日量110トンから120トンへと増産したが、ウシには輸入の穀類も与えるために差し引いて、葛巻町のカロリーベースでの食料自給率は201%である。

 「環境問題への取り組み」は、林業の振興により二酸化炭素の吸収力を高めようと、森林組合と連携して、さまざまな施策を実行した。たとえば、伐採したら植林をする「再造林」への支援、「間伐材搬出経費」への支援、「町産材で家を建てる」ことへの最大50万円の奨励金など実施した。

 二酸化炭素排出削減に貢献するために、クリーンエネルギーの普及・拡大を目指して、「エコカー導入、太陽光、太陽熱、木質ペレット燃料ストーブ、ボイラー導入、薪ストーブ購入」などを支援した。
 また、広く国民に呼びかけて寄付を募り、葛巻町の森林を整備することによって、温暖化防止に貢献しようと「寄付条例」を制定した。この条例によって、これまでに約770万円の寄付が寄せられ、「再造林」などに投資されている。

 森林組合ではこれに呼応して、それまで取引や交流のあった企業の協力を得て温暖化防止に貢献するために「企業の森」を設置した。森林組合を通じて葛巻町産材の集成材を購入して関東で3000万〜4000万円級の一般住宅を毎年200戸建設している埼玉県の藤島建設、社長が葛巻町出身で日本一の金網メーカーである小岩金網、集成材の金属組み手の専門メーカーであるシェルター、森林組合から「薪」を購入して東京で輸入薪ストーブを販売している永和、保険調剤(院外)薬局を経営する薬樹の5社で約270haに約7000万円が投資されて、企業の資本で森林が整備され雇用が確保され、林業の振興となり、もちろん温暖化防止に貢献している。

 「エネルギー問題への取り組み」は、石油資源は有限で、現在の油田の大半は40年ほどで枯渇するとの報告もある。それまで、ほとんど事業化されていなかったクリーンエネルギーの導入は1997年の京都議定書締結以来、国内の風力発電事業者が適地を探索した結果、日本では、高い山や海岸線において風が強く適地があることが判明している。

 葛巻では、30年前から高海抜地帯に大規模な牧草地を造成して酪農を振興していた。牧草地は、障害物が無く風力資源には恵まれていたし、くわえて牧場の管理事務所には電線が通っていた。風車で発電された電力は、この電線に接続するのに容易であった。このように先人が酪農を振興していたために、風力発電事業の条件が整っていた。当時建設の是非の議論もあったなか、町議は、自費でデンマークを中心に視察に行き、ヨーロッパの環境とエネルギーに対する取り組みを研修して帰国、町民から反対の意見はなく1999年6月に3基の風力発電施設を建設した。これに先駆けて、葛巻町新エネルギービジョンが作成されており、私はビジョンに基づき積極的に導入を推進した。

 町が関わり構築したクリーンエネルギー施設は、風力発電施設15基(2万2200kW)、太陽光発電施設(50kW)、畜産バイオマス発電施設(37kW)、木質バイオマス発電施設(120kW)、合計2万2407kWに及び、それらの施設建設費用は約57億5500万円で、町からの投資額は1億1593万円であった。しかしながら、大規模風力発電12基を建設した電源開発から事業協力金として7000万円の寄付があり、差し引き4593万円であった。別に国や県、NEDOの補助金と民間企業からの投資がある。


5.おわりに

 第三セクターと食料・環境・エネルギーへの取り組みが相乗効果を上げ、葛巻を訪れる交流人口は12年前には約8万人であったが、現在は55万人が訪れる町となり、「地域経済の活性化」、「雇用の拡大」、「若者の定着」など、町民が自信と誇りを持てるようになった。葛巻町は、鈴木重男町長のもと、これまでの取り組みを継承しつつ、交流人口の増大とともに、定住人口の推進を図っていて、町外からの移住者に対しては優遇措置を講じている。

 日本は、国策として農山村の活性化を図り、均衡のとれた国土発展を実現するためにも、くわえて世界のフード・セキュリティのためにも、食料自給率の確たる向上を目指して諸施策を実施すべきである。そして、農家が思う存分に生産をして、余裕数量については、世界の食料不足地域への食料による現物支援に充てることをも検討してはと思う。

 林産材の自給率を24%から50%に引き上げる施策は林業を振興して、その結果として現地における雇用を拡大することになるので、是非、推進してほしい。

 さて、クリーンエネルギーを推進することは社会資本の整備にほかならない。たとえば、1750kW級の風力発電施設の基礎は1基当たり大型生コン車300台分が必要である。これは、地球環境改善につながるコンクリートなのである。そして、風力発電をはじめとするクリーンエネルギーは多くの視察者をまねくので、地域も活性化する。二酸化炭素の排出量25%削減を掲げている日本は、食料・環境・エネルギーの地球規模での課題に貢献する施策を優先してほしい。

 また、人間が住めない地域を作り、日本中が恐怖に陥り、その被害は甚大で拡大の一途をたどっている原子力発電の問題については「私達は、どのような地域、日本、地球を次世代に引き継ぐのですか」ということが問われている。これまで原子力発電などからの電力供給のもと、世界で類のないような発展を遂げ、繁栄を享受してきた日本は、原発依存を改めて、生活様式も根本から見直し、まず省エネに務め、そのうえで水力、風力、地熱、太陽光、畜産バイオマス、木質バイオマスなど、自然の恵みである再生可能なエネルギーによる安全で安心な電力を確保しつつ、均衡ある国土発展を目指すように、政治家も官僚も経済界も一般国民も、最大の関心を持ち国民的合意形成を図るべき時である。

前のページに戻る