バイオガスを利用したCDM事業化と
農村開発への波及効果

独立行政法人 国際農林水産業研究センター(JIRCAS)
農村開発領域 主任研究員 泉 太郎

1.はじめに

 クリーン開発メカニズム(CDM:Clean Development Mechanism)は、先進国が、発展途上国においてGHG(温室効果ガス)排出削減事業を実施し、達成された排出削減量に応じて発行されるクレジット(炭素クレジット:CER)を事業参加者間で配分する仕組みである。これは、京都議定書においてGHGの排出削減に係る数値目標が設定された先進国と数値目標が設定されていない途上国との間で、排出権を取引するもので、先進国は、CERを自らの数値目標達成のために活用でき、途上国はプロジェクトの実施およびCERの取引から利益が得られ、双方にとってメリットを有している。しかし、CDM事業は、効率的にGHGの排出を削減できるプラントやエネルギー関連の事業がほとんどであり、農村地域の住民が恩恵を受ける事業が実施される例は少ない。
 CDMを発展途上国の農村開発に活用できれば、これまで資金不足のため開発が遅れてきた地域に先進国の資金を呼び込むことが可能となる。国際農林水産業研究センター(JIRCAS)では、途上国の低所得農村においてGHG排出削減を行い、CDMを事業化することで、地域資源の有効活用、環境保全および所得向上に資する農村開発モデルを実証するための調査をエチオピア、パラグアイ、ベトナムの3か国において実施中である。ベトナムでは、豚のふん尿を嫌気的に発酵させて得られるバイオガスを利用したCDM事業を形成し、GHG排出削減量に見合うCERの売却益から得られる資金を現地の農村開発に活用するという構想のもと、プロジェクトを進めている。ここでは、ベトナムで実施中のCDMを農村開発に活用するための取り組みを中心に紹介する。

2.発展途上国の農村地域におけるCDM事業

 発展途上国の農村地域は、都市部に比べてもともとGHGの排出量が少ない地域である。しかし、人口の増加、農業経営および農村生活の近代化などの影響により、GHGの排出量は確実に増加している。具体的な排出源としては、(1) 農産物残渣(ざんさ)・家畜ふん尿などのバイオマス、(2) 農地へ投入される化学肥料、(3) 灌漑用ポンプ・農業用機械などで使用される化石燃料、(4) 調理などに使用される化石燃料・薪、などが挙げられる。

 一方、農村地域には、太陽光・風力・水力などの再生可能エネルギー、バイオマス、土地(荒廃地・遊休地)などの豊富な未利用資源が存在する。農村地域においてCDM事業を実施する場合、これら未利用資源の有効活用を通じて、GHGの排出削減(または、吸収増加)を考えていくことが基本となる。たとえば、化石燃料の使用を再生可能エネルギーに置き換えてGHGの排出量を削減する、あるいは荒廃地・遊休地に植林してGHGの吸収量を増加させるといったことである。

 農村地域においてCDM事業を実施する場合、地域内で利用可能な資源を確認することから開始する。当然、利用する資源は、住民のニーズに基づくべきで、並行して、地域住民の開発ニーズを把握する必要がある。そのなかにGHG排出削減(または、吸収増加)につながるものが含まれている場合、それを農村開発の一部として、CDM事業化していくという手順で進める。すなわち、CDM事業は、農村開発のメニューの1つという位置付けとなる。JIRCASはこの理念のもと、調査を進めている。


3.ベトナムでの事例

 JIRCASは、2008年よりベトナムのメコンデルタにおいてCDMを農村開発に活用するための調査を実施してきた。このデルタ地域は、ベトナム全国のコメ、水産物生産量の5割を占める主要な食料生産地域である。他方、人口密度が高く、4万km2におよそ1800万人が居住し、1戸当たり農地面積は0.5ha程度にすぎない。また、農家は土地の利用権を有しているが、相続により細分化され、土地なし農民が潜在化し、貧困農家が多い。

 調査対象地域はメコンデルタ中央部に位置するカントー市(中央直轄市、省と同等)で、市中心部に近い郡では、限られた土地資源を有効に活用するため、果樹栽培(ベトナム語で頭文字はV)、魚の養殖(同じくA)、養豚(同じくC)を組み合わせたVACシステムと呼ばれる複合農業が盛んである。

 また、この地域では、調理用の燃料として、薪やプロパンガスが使われているが、薪の使用量が増加し、森林が減少している。このため、養豚場にバイオガス・ダイジェスター(BD)を設置し、ふん尿から発生するバイオガス(B)を回収して調理用の燃料として使うという「VACBシステム」が注目されている(写真1)。JIRCASは、このVACBシステムの普及を組み込んだ、持続可能な農村開発を広めていく手法の研究に取り組んでいる。

写真1 VACBシステム
写真1 VACBシステム


 バイオガスは、温室効果が高いメタンガスが主成分なので、VACBシステムが広まれば、養豚場からの温室効果ガスの放出と化石燃料であるプロパンガスの消費を減らし、薪の採取に伴う森林の減少をくい止めることも可能となる。

 VACBシステムのサイクルは、以下のとおりである。

(1) 養豚場からの廃棄物をBDに取り込み、嫌気発酵によりメタンガスを発生させ、調理や家畜飼料の準備に利用する。

(2) BDからの廃液は、池に投入し植物性プランクトンを増殖させるための養分とする。

(3) 池では養魚を行い、年に数回収獲する。魚の収獲後は、池の清掃、消毒を行うが、このとき池底の堆積物を浚って、果樹園や菜園の肥料とする。

(4) 果樹園や菜園で収穫した作物の一部は、農家からの食物残渣とともに養豚用飼料として利用する。

 VACBシステムは、地域資源を有効活用し、環境保全と所得向上につながる有用なシステムであるが、このシステムはこれまでほとんど普及してこなかった。その主な理由は、(1) VACBシステムを構成する個々の営農技術(果樹栽培、養魚、養豚)に係る農家の技術レベルが低い場合、たとえば養豚における病気の発生などにより、システムの一部に問題が生じると、それが全体に影響を及ぼすこと、(2) 農家がバイオガス技術を有していないこと、などである。そこで、JIRCASはVACBシステム普及の制約となっている、個々の営農技術の改善とバイオガス技術の導入に取り組み、これを通じて、CDM事業を形成する試みを行っている。

 BDには、コンクリートタイプとプラスチックタイプがあるが、JIRCASは安価で維持管理も容易なプラスチックタイプを採用した。プラスチックタイプの発酵チューブは、直径約90cm、延長約10m、3層の厚手のビニールチューブで構成されており、耐久性が課題となったが、調査の結果、適切な維持管理さえ行えば、10年以上の耐用年数があることを確認した(図1)。

図1 プラスチックタイプBDの概要
図1 プラスチックタイプBDの概要


 ベトナムは社会主義国のため、決められた計画に従って農家指導や肥料などの農業用資材の配布を行うが、担当する普及員は管轄する範囲に比べて少ないうえに、必ずしも必要な技術を身につけていない。そこでJIRCASは、現地のカントー大学とともに、農家自身の意思により技術改善を行う、「住民参加方式」で調査を進め、これを通じてCDM事業の形成を図ることとした。農家がこれまでの受け身の姿勢を改め、責任を持って行動することにより、技術普及やCDM事業の着実な実現を期待した。これは、普及員の育成よりも、他の農家への指導可能なキーファーマー(KF)の育成や農家の技術レベルを直接向上させることを重視するものである。

 意欲ある農家への実務研修でVACB技術を向上させ、KFを育成し、KFを通じVACBシステムを一般農家へ普及する構想で、その流れは概ね以下のとおりである。

(1) モデルとして選定した集落(ミフン集落:戸数272戸)において、全農家を対象としてベースライン調査をはじめとする各種の調査を行い、集落が保有する土地資源、水資源、人的資源など、資源量の概要を把握し、それに基づき、農家自らが将来の経営計画である農家計画を作成した。

(2) 参加農家のすべてから農家計画を収集し、内容ごとに集計、計画された活動別に農家をグループ分けした。この時点で、BDに対するニーズを確認し、以後、BDの導入によるCDM化を目指すこととした。次にグループ内でモデル農家を選定し、グループごとに技術研修(果樹栽培、養魚、養豚、BD)を行い、その後、モデル農家を対象として、一部農家負担により必要資材を提供し、研修の実践を行った(写真2・3)。

(3) モデル集落における実践を通じて、VACBシステムの有効性の確認と、薪使用量の削減量など、CDM化に必要となるデータの収集を行った。VACBシステムのために必要な技術を身につけた農家は、KFとし、KFを通じ一般農家に技術を普及する体制の基礎とした。

(4) BDによるGHGの削減効果を試算した結果、CDM事業化のためには少なくとも1000基のBD導入が必要との結果が得られたことから、モニタリングの利便性なども考慮して、CDM事業化の対象地域をカントー市内の3郡に設定し、CDM事業への参加農家を募った。また、併せて、この3郡内におけるVACBシステム普及の核となるKFを育成するための活動に着手した。このKFの育成には、モデル集落での活動を経て育成されたKFが当たっている。

写真2 技術研修(養魚)の様子
写真2 技術研修(養魚)の様子

写真3 技術研修への参加者と
写真3 技術研修への参加者と


 上記の手順により形成したCDM事業「カントー市における農村開発に資する農家用バイオガス事業」は、最終的には961戸の農家の参加を得て、すでにその設計書(PDD)が国連CDM理事会のホームページ上に公開されている。2011年1月には、国連が認証した審査機関による本CDM事業の有効化審査が行われ、明確化要求事項などがいくつか指摘された。現在、2012年5月頃の国連CDM理事会による登録を目指して対応中である。

 CDMとKFによりVACBシステムを普及することで、畜産廃棄物の直接投棄による水路や河川の水質汚染を軽減し、悪臭を除き、調理用の薪やプロパンガスの使用量を節減することができる。また、VACBシステムの個別技術の改善により、農畜水産物の生産量の増加も期待されるなど、さまざまな効果が見込まれている。

4.今後の展望

 ベトナムでは、CDM事業を形成し、有効化審査を受けるまでに、おおよそ2年半の期間を費やした。有効化審査後、審査機関から指摘された明確化要求事項などの処理を行い、CDM理事会に事業を登録するまでには、さらに1年以上を要する見込みである。つまり、計4年近くの歳月を経て、ようやく事業の登録まで到達することとなる。

 しかし、CDM事業では、事業の登録は通過点に過ぎず、CERの発行があって初めて目的を達成することになる。そのためには、なお以下の課題が残されている。

(1) CERは事業によるGHG排出削減量のモニタリング結果に基づき発行されるので、プロジェクトで計画したBD導入事業をモニタリング前に完了させる必要がある。

(2) BD導入のための資金は、通常、事業で取得されるCERの購入を前提とした、京都議定書付属書I国(先進国)に属する民間または公的機関により提供される。このため、CERの買い手となる機関を広く募集し、確保する必要がある。

(3) BDからCERを得るには、参加農家すべてに対し、一定の資金補助でBDの資材を提供するだけでなく、設置、維持管理のための技術支援を行い、BDが確実に利用され、個別BDごとのGHG排出削減量が記録される必要がある。

(4) BDの設置、維持管理が適切に実施されるためには、KFが主要集落で育成され、その能力が向上していなければならない。

 これらはすべて、プロジェクトのCDM理事会への登録可能性が高まった段階、具体的には有効化審査を受けた後から、本格的に取り組まれる課題であり、これらに適切に対応してはじめて、CDMを活用した農村開発が現実化する。JIRCASでは、「CDMを活用した農村開発のためのマニュアル」の作成を予定しており、これにはCDM事業の形成段階から、登録、CER獲得後のCERの利用、CDM事業全体の評価まで、すべてのプロセスを含むものにしたいと考えている。

 今後のCER獲得までの見通しとしては、以下のスケジュールが想定されている。

(1) CDM理事会への登録完了(2012年5月頃)

     

(2) 買い手企業の決定(2012年9月頃)

     

(3) 買い手企業から資金を得た後の速やかな事業実施(2012〜2014年)

     

(4) BDを設置した農家から順にモニタリングの開始(2012年〜)

     

(5) 1年間のモニタリング後のCER発行に向けた手続きの開始(2013年〜)

     

(6) CERの獲得(2014年〜)


 CERの獲得に至るまでには、資金、技術、人材、維持管理、実施体制などで、さまざまなリスクがあり、社会実験的な要素が強い。一方で、事業参加農家やベトナム行政機関の事業への期待は大きく、この社会実験の推進力となっている。たとえば、カントー市人民委員会などは、畜産環境の改善と農家所得の向上につながる本CDM事業に熱心で、かつ普及員を補完するKFの地域内での農業技術向上への重要な役割を認識している。

 各方面の支援を得ながら、困難を克服し、残り4年以内に、CDMを活用した新たな農村開発モデルを成功裏に構築したいと考えている。


5.まとめ

 農村開発においてCDMを活用するためには、はじめからCDM事業の形成を目的とするのではなく、まず、住民のニーズ、将来計画、地域資源、地域資源活用上の課題など、農村の現状と住民の開発意欲の方向性を把握すべきである。CDM事業化とは、資源の再生利用あるいは未利用資源の有効活用による非再生資源の代替に係る活動の推進であり、資源を有効利用する農村開発を突き詰めていけば、CDM事業化の可能性が現われてくる。たとえCDM事業化に至らなくとも、農家の身の丈に合った、低コストで効率的な技術が導入され、所得向上と環境改善が可能となる。

 なお、CDM事業として炭素クレジットを得るためには、国連気候変動枠組条約(UNFCCC)CDM理事会による厳格な審査、検証を経ねばならず、そのための費用負担も含め、決して容易ではない。JIRCASは、具体的な活動実績をもとに、ベトナム側自らが他へ普及可能となる、農村開発手法のモデル化やCDM方法論の簡素化を進める予定である。

<参考文献>
  松原英治・泉太郎・廣内慎司(2011):「メコンデルタにおけるCDMによる農村開発の課題と展望」,『水土の知』,79(10),pp.757-760.

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