災害復興と合意形成
東京工業大学 大学院社会理工学研究科 教授 桑子敏雄

1. 人生のなかの遭遇

 人間は、だれもがこの地球の上で、ある時点に、その生を与えられる。そして、与えられた生を持続させ、さらに生を豊かにするために、いろいろな行為を選択してゆく。与えられたもの、所与としての生と行為の選択とは、人生を構成する二本の柱である。ただ、所与と選択によって人生のすべてが決まるかというとそうではない。地球の表面の空間は広大に広がり、また、与えられる時間も切れ目なく流れてゆくので、わたしたちは、「遭遇」という、人間存在にとって根源的な領域の存在に気づくのである。

 生涯の友に出会うのも遭遇であり、またよき伴侶に巡り会うのも遭遇である。出会い、巡り会い、邂逅(かいこう)といった表現で、わたしたちは遭遇を理解する。わたしたちは、遭遇が「有り難い」ものであれば、その幸運な遭遇を生かし、人生を豊かにしてゆく。たしかに、遭遇は人生を僥倖(ぎょうこう)で彩ることもある。しかし、ときに遭遇は、「有り難くない」ものであることもある。遭遇は、人間に不条理な相貌(そうぼう)で襲いかかる。

 美しい海岸と豊かな海辺に暮らしていた人びとにとって、平成23年3月11日に起きた巨大地震とその後の大津波、それに続く福島第一原子力発電所の爆発と広域放射能汚染は、人びとの運命を大きく変えてしまうような遭遇となった。ある人びとは生命を失ったが、助かった人びとも、家ごと流されながらも九死に一生を得、ある人びとは不運にも波に飲まれ、ある人びとは避難の途中に被曝して、将来を心配している。

 被災・被曝した人びとは、その遭遇を自分自身の人生の一部として、その後のさまざまな行為を選択しなければならない。直接に被災した人びとだけでない、すべての日本人は、3・11とその後に続く一連の出来事を人生の一部として生きていくべきではないか。それが日本人としての、あるいは、地球人としての責任ではないか。わたしは、そのように考えるのである。

2. 震災復興の行程

 東日本大震災の発生から半年以上が経過し、被災自治体では復興のための基本方針の策定を終えて、復興計画の策定作業を進めている。各自治体の課題は、「災害を踏まえて、今後の地域の理想をどのように描くか」ということであり、復興計画策定の後は、計画を実施するための実施計画や事業計画を作り、さらに、実際の復興事業を推進することになる。基本方針や復興計画は、必ずしも復興予算を含む地域の多様な制約条件を十分に考慮したものとはなっていないので、計画の具体的実施に関しては、「現実的に実現可能なことはなにか」という観点からの検討が必要になる。制約条件を考慮すれば、計画を当初の通り実行できるとはかぎらないということが分かってくる。だから、計画は柔軟性をもっていなければならない。計画実行に当たっては、地域の理想と現実的制約という両極の間で最適な解を見いだすことが求められるのである。

 さて、わたしは、社会的合意形成の経験と研究を積んだこともあって、農林水産省東北農政局の事業、「東日本大震災と農村復興・振興のあり方に関する検討委員会」の委員長を依頼され、(財)日本水土総合研究所とともに、宮城県南部の亘理(わたり)町と山元町を中心とする農村地域の復興・振興の進め方について専門家の意見を集約し、また、地域の人びとの声を専門家の会議に反映させるための作業を進めている(第1回委員会は、平成23年9月30日に仙台で開催された)。

 委員会の仕事は、
  (1)総合的な土地利用再編構想に関する検討
  (2)計画策定に当たって必要な合意形成に関する検討
  (3)将来を見据えた振興
の3点である。とくに重要としているのが、策定された計画を具体的に実行するに当たって問題となる多様な関係者(ステークホルダー)の間の合意形成の進め方である。

 亘理町と山元町では、三陸地方とは異なり、平野部に津波が押し寄せた。海岸部の集落は跡形もなくなり、鉄道(常磐線)は、線路ごと破壊され、排水機場も損壊し、水田は塩水が抜けず、イチゴ畑はハウスなど生産基盤が完全に失われた。農業生産と安全なまちづくりとをうまく共存させるためには、旧市街地と旧農地の換地の作業や農地の再編など、多様なステークホルダー間の利害を超えた合意形成の作業が不可欠である。この地域は、農林水産省による国営の大規模農地整備事業が行われた地域であり、ある程度の合意形成の経験が蓄積されている。しかし、未曾有(みぞう)の災害によって被った影響をどう克服するかということについては、鉄道の移設一つをとっても、人びとの利害は容易に一致しない。

3. 復興事業での合意形成とは何か

 平成23年11月1日には、亘理町と山元町のそれぞれで地域委員会が開催され、委員会の代表として出席する機会を得た。そのとき感じたことも含めて、今後考慮すべき合意形成プロセスのあり方として、提案できることを以下に述べておきたい。

 震災復興のための合意形成とはどのようなものであろうか。わたしがこれまで合意形成の専門家として、行政や市民組織とともに従事してきた合意形成プロセスの構築は、主として社会基盤整備を巡る住民参加型の社会的合意形成である。社会的合意形成というのは、たんに多様なステークホルダーのかかわる事業というだけでなく、そのステークホルダーの範囲が不特定多数であるような場合である。道路やダムの建設・改修、まちづくり・地域づくりなどは、その影響を被る人びとの範囲が必ずしも限定されておらず、また、事業費は基本的には税金が投入されるわけであるから、納税者も含めた広い範囲のステークホルダーを考えなければならない。こうした事業では、ステークホルダーはなんらかの形でみずからの意見を述べる機会をもち、合意形成プロセスに参加することが求められるのである。

 合意形成とは、文字通り合意を形成することである。合意を形成するというのは、合意形成の必要な問題が存在するということを意味する。合意形成の必要性があるのは、対立する意見が存在するからである。まちづくりや地域づくりを巡って多様なステークホルダーの間に意見の多様性があるのは当然のことである。同じ事業であっても、人それぞれの立場は異なっており、その影響の受け方も違っている。さらに、公共事業そのものに対しても、環境や景観といった20世紀型の事業では重視されてこなかった要素を重視する人びとは、事業そのものに対して批判的な立場に立つことも多い。

 震災復興の過程でも合意形成は重要な要素である。なぜなら、復興には、多様なステークホルダーが関係しているからである。復興は、各自治体が主体となるが、県、国、その他の組織や団体もステークホルダーである。事業者というステークホルダーとともに、事業の影響を受ける住民や一般市民もステークホルダーである。

 復興事業を円滑に推進するためには、事業者は、事業に関係するすべての、あるいはできるだけ多くのステークホルダーを把握し、それぞれのステークホルダーがもっている関心・懸念(インタレスト)をしっかりと分析しなければならない。社会的合意形成では、ステークホルダー間の「意見の対立」の分析とその克服への活動だけでは不十分である。対立は表面的な意見の間だけではなく、意見の背後にある「意見の理由」の間で発生するからである。この「意見の理由」が、人びとの意見の背後にある「関心・懸念」である。

 では、実際の復興事業のステークホルダーにはどのような人びとがいるのだろうか。東日本大震災は南北にわたって非常に多くの地域に甚大な被害を与えたが、被災地の地形や風土、歴史・文化には多くの違いがあり、人びとの関心・懸念も大きく異なっている。たとえば、三陸地域では、漁業者の関心・懸念が重要な意味をもつが、亘理町と山元町の場合には、被災した多くの人びとは、水田やイチゴ栽培、その他の作物栽培をしていた農業従事者である。イチゴ農家には専業の人びとが多く、水田耕作者は兼業農家が多いということもあり、イチゴ農家とコメ農家の関心・懸念は異なっている。

 被災した農家の間では、農業を継続できるかどうか心配している人びとが多い。住宅も喪失しており、仮設住宅で復興の進行を見守っている状況である。これらの人びとが復興事業のもっとも重要なステークホルダーであり、そのインタレスト分析およびインタレストどうしの対立構造の分析は、事業を円滑に推進するための不可欠の作業である。そのためには、事業者は、計画の説明会などで関係者の意見を聞いたり、アンケートをとったりするだけでは不十分である。一人ひとりの状況を把握したうえで、そのインタレストを把握する作業をできるだけ効率的に、短期間に行わなければならない。

 さらに復興のまちづくりには、被災が軽微であった人びとや被災していない人びとの関心・懸念も重要である。被災した人びとは海岸部に住居や農地をもっている人びとが多く、海岸から離れた国道6号線周辺より西側の丘陵地は破壊を免れている。発災から半年以上経過した現在においても、地域による人びとの関心・懸念の度合いの差異は非常に大きい。したがって、同じ町に居住していても、人びとの関心・懸念も異なっている。そこに生じる復興への「温度差」は、事業の推進にとってコントロールすべき重要な要素となる。

 最初にも述べたように、被災者は、災害との遭遇という「不条理」によって、それまで積み上げた生活を喪失してしまった人びとである。災害前と災害後の彼らの「関心・懸念」は激変している。復興事業の推進主体は、地域の人びとの関心・懸念について、震災前と震災後の持続と断絶の両方を把握することが大切である。震災後の「関心・懸念」であっても、震災前の生活が基礎になっている。震災時になぎ倒されて何もなくなってしまった平野部の風景に刻印されているのは、震災時の出来事であるが、よく見ると通りがあり、線路の跡があり、墓地があり、はやくも再建された神社の社殿がある。人びとの関心・懸念の深い理解のためには、この地域に蓄積された空間の履歴をしっかりと読み解くことが必要である。

4. 復興事業の主体とコミュニケーション・マネジメント

 復興事業を進めるに当たって、その合意形成プロセスの構築で重要なのは、復興事業の主体が生活再建を望む被災者やその関係者に明確に示されていることである。復興計画は市町村等の地方自治体が作業を進めることになるが、農地の回復や水路や排水機場等のインフラ、海岸堤防の修復、道路の整備等は、国や県が進める場合も多いであろう。事業主体も国、県、市町村、さらには、それぞれの部署で役割分担が異なっている。こうした体制で復旧作業を進めようとしても、従来型の定常業務のような作業体制と時間意識のもとでは、被災者の生活再建を実現できるような時間の範囲内でのマネジメントは難しい。緊急時のプロジェクト・マネジメント体制をとることが必要不可欠である。事業主体がどこにあるのか、だれがプロジェクトのリーダー、あるいは、プロジェクトのマネジメントのリーダーであるのか、その責任体制はどのようになっており、それぞれの行政組織と専門家集団の役割、さらには、被災者、一般市民の役割がどのようなものであるかを明確にしておく必要がある。

図1 宮崎海岸トライアングル
図1 宮崎海岸トライアングル

 図は、わたしが平成20年からプロジェクト・アドバイザーとして参加した宮崎海岸侵食対策事業でプロジェクト・チームが考案した宮崎海岸トライアングルと呼ぶ行政、市民、専門家の役割構造である。事業では、この三者のコミュニケーションの推進をどう円滑に行うかということが課題であり、トライアングルは、それに答えるためのコミュニケーションの構造を描いている。事業主体である宮崎河川国道事務所のリーダーシップにより、当初ぎくしゃくしていた行政、市民、専門家の間の関係は劇的に改善したが、そのプロセスで事業者が市民、専門家にこのトライアングルを示したことの効果はきわめて大きい。東日本大震災においても、マネジメント体制をしっかりしたものとし、その構造を関係者で共有することが、すみやかな復興事業の推進に有効であろう。

 復興計画の策定や実行を巡って、人びとの意見に違いが生じるのは、人間が社会的な動物であるかぎり、むしろ当然のことである。人びとは、同じ問題を異なった視点で、また、異なった視線をもって見るからである。そのような多様な意見が対立へと落ち込むことを回避するための合意形成プロセスの構築で重要なのは、時間管理である。なぜならば、多様な意見を聞こうとすればするほど、手間と時間がかかるからである。しかし、この手間と時間を省こうとするならば、多様なステークホルダーとの信頼が失われ、対立が生じ、ある場合には紛争となって、当初期待していたのと違って、むしろ膨大な時間がかかるようになる。

 被災した人びとにとってもっとも深い関心の的になっているのは、仕事であり、雇用である。生活の基盤が成り立たなければ、住宅の建設やまちづくりはうまくいかない。まずなによりもできるだけ早く作付けをする、ということが農業者の希望である。津波で覆われた水田を復旧し、稲作を再開するためのタイムリミットは3年であるという声を何度も聞いた。それ以上時間をかけていると、農業そのものを継続することができなくなるというのである。生活を確保するためにも、用水、排水などの生産のためのインフラを整備することが緊急の課題であるが、さらに、町をつくりなおさなければならない。生活できず、他の地域に仕事を求めての人口の流出が懸念されているのである。

 時間の適切なマネジメントを阻害する要因となるのは、平行して進む複数の作業間の連携をどのようにうまくつなげることができるか、またステークホルダー間のコミュニケーションをどのように円滑に図るかということである。復興事業の中心となる地方自治体や県、国の諸機関との連携に時間がかかるようでは、事業の進捗に大きな障害となる。しかも、こうした上位機関との連携や、そうした機関間の手続きは、地域住民の目には見えないことが多いのである。作業の進捗が見えず、無為な時間を多くしてしまうことは、被災者の不安を増幅する。事業者に対する信頼が揺らぐのである。信頼の喪失は、相互理解をさらに困難にする。信頼回復にかける時間もまた事業推進の阻害要因になり、悪循環に陥ってしまう。この意味でも、宮崎海岸のコミュニケーションのトライアングルのようにコミュニケーションの促進を図ることは、事態の改善に大いに役立つであろう。

5. おわりに

 わたしの従事する委員会は、今後も議論を重ね、他の地域の復興実現のための合意形成プロセスのモデルを提示するという役割をも担っている。短い時間のなかでどれほどのことができるか、その意味でのマネジメント能力が問われる事業である。歴史的な時代の転換点に当たって、こうした事業に従事できることは非常に有り難いことであり、これまでの合意形成に関する研究と経験の蓄積のすべてをつぎ込んで任務に当たりたいと考えている。

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