逼迫する世界の穀物需給と日本の対応

石川県立大学 教授 辻井 博

1.世界穀物需給逼迫の諸要因

 20世紀後半の幕開けとなる1950年に25億人だった世界人口は、この11月初めに70億人に達し、予測では2100年には100億人になり、その後に安定する。1950〜2100年の150年の期間に、人口爆発は地球上で初めて発生している。その人口爆発は、穀物需給を規定する長期的要因の一つである。その他の長期的要因としては、世界人口の都市化と肉類消費の増大、世界の穀物在庫率の低下、穀物生産技術を示す単収増加率の低下などがある。

 2008年に世界食料危機が発生し、世界で穀物価格が急騰し、食料暴動が多発した。食料危機は、主として後述する短期的要因による。本稿では、先ずこの要因を数量的に明らかにし、世界の穀物需給逼迫の説明の手がかりとする。


2.2007〜08年にかけての世界食料危機の要因分析

 世界の穀物輸出価格は2007〜08年にかけて、図1が示すように過去50年間に起こった暴騰を大幅に超えて上昇した。コメではタイの輸出価格が08年5月にトン当たり963ドルのピークを付け、05年の初めに比べ3.3倍、コムギではアメリカの輸出価格が08年3月にトン当たり482ドルのピークを付け、同じく3倍強、トウモロコシでもアメリカの輸出価格が08年6月に281ドルで同じく3倍弱になった。世界各国の穀物貿易がアメリカの主導下に自由化されてきたので、この急騰は多くの発展途上諸国の国内穀物価格の急騰も引き起こした。

図1 コメ、コムギ、トウモロコシの代表的銘柄の月次輸出価格
図1 コメ、コムギ、トウモロコシの代表的銘柄の月次輸出価格
出所:FAOおよびGIEWSのデータを基に筆者作成

 発展途上諸国には世界人口70億のうち約60億人が住むが、彼らの大部分は非常に貧しく、主として穀物からカロリーを摂取する。国連の推計では途上諸国の飢餓人口は9億人、貧困人口は20億人である。当然のことながら、穀物価格の急騰は多くの途上諸国で飢餓を悪化させ、食料安全保障を破綻させ、食料暴動や政変をもたらした。また、先進諸国にも食料価格の上昇、インフレ、経済停滞や食料安全保障に関する国民の不安の増大をもたらした。穀物の貿易価格は、図1が示すようにその後急落したが、2010年半ばから再び急騰を始めている。

 図1が示す世界の穀物価格の過去3度(1973年、1981年、1994年)の急騰は、大規模な凶作が主要因であった。それでは、2007〜08年にかけての穀物価格の急騰に凶作は関係していたであろうか。今回の急騰の短期的要因として諸文献で議論されているのは、以下の7点である。

1)アメリカでのトウモロコシ、ブラジルでのサトウキビ、EUでのナタネと、それぞれを原料とするバイオ燃料生産の急増。

2)アメリカ発の世界金融危機による多額の国際投機資金の商品市場への流入。

3)ドルの減価(ドル安)。

4)原油価格の高騰による穀物生産費と輸送費の上昇。

5)BRICsの高成長による穀物需要の急増。

6)主要穀物輸出国の穀物輸出規制。

7)穀物の凶作。


(1)バイオ燃料の影響

 世界のバイオ燃料は、主としてアメリカとEUとブラジルで生産されている。このうち、とくにアメリカのバイオ・エタノール需要の急増が、その原料であるトウモロコシの需要を急増させ、2008年に世界の穀物価格を大幅に引き上げたと仮定できる。世界の穀物価格が急騰した2004〜07年にかけて、世界のトウモロコシの増産量の70%がバイオ・エタノールの原料として使用され、その年増加率は36%にもなるのに対し、トウモロコシの飼料需要の年増加率は1.5%で増加したのみであった。2007/08年生産の世界のバイオ・エタノール生産に使われるトウモロコシは8600万トンで、そのうちアメリカは8100万トンを占めるガリバーである。アメリカのバイオ・エタノール生産は、経済協力開発機構(OECD)と国連食糧農業機関(FAO)によれば07年において250億リットルで、世界の生産量の半分ほどを占める。それが世界食料危機の主要因となるのは、アメリカが世界のトウモロコシ生産量の1/3、そしてトウモロコシ輸出量の2/3を占め、くわえて同国のトウモロコシの2007/08年生産の25%をバイオ・エタノールに使用し、かつその量が政策的に急増させられているからである。

 アメリカでは連作障害対策のためにトウモロコシとダイズは輪作され、それらの作付面積は2000〜06年まで、ほぼ3000万haで均衡していた。しかし、07年にはバイオ・エタノール原料需要の急増により、ダイズの作付面積がトウモロコシに替わり、トウモロコシが3500万ha、ダイズが2500万ha程度となった。連作障害の危険を冒して、トウモロコシが大幅に増産されたのである。08年9月のコーン・ベルトでの筆者の4000kmほどの長距離視察では、ダイズにかなりの連作障害が見られた。

 2007年の世界バイオ・ディーゼル生産量の約60%、70億リットルはEUで生産され、世界の同年の植物油脂生産量1億3200万トンのうちの860万トンが、その原料として使用されたのみであった。2004〜07年の期間に、植物油脂の需要は2100万トン増加し、そのうちバイオ・エタノールを含む工業用需要は年率15%で増加し、食用は4.2%で増加したのみであった。総需要に占めるバイオ・ディーゼルを含む工業用需要のシェアは14%から19%へと増加した。これらから、世界穀物価格の急騰へのバイオ・ディーゼルの影響はあまり大きくないといえる。

 ブラジルのサトウキビは、ほぼ半分ずつがバイオ・エタノールと砂糖の生産に使用される。サトウキビの生産増は十分で、2000〜07年の期間に砂糖生産を2倍に、砂糖輸出を3倍に増加させた。世界の砂糖輸出に占めるブラジルのシェアは20%から40%へと増加し、世界の砂糖価格の上昇を抑えた。また、ブラジルのバイオ・エタノール価格はガソリン価格よりもかなり低い。ブラジルのバイオ・エタノールは、アメリカのバイオ・エタノール生産量より非常に少ない量が輸出される。これらからブラジルはバイオ・エタノールを無理に生産しているのではなく、その生産増は世界穀物価格の急騰には影響を与えなかったと考えられる。

 以上から、とくにアメリカのバイオ・エタノール生産の急増が世界穀物価格の急騰をかなり説明すると考えられる。問題はこのバイオ・エタノール生産の急増が、アメリカの2005年と07年の法律に基づく補助金とバイオ・エタノール使用義務によることである。07年の「エネルギー独立安全保障法」の名前が示すように、エネルギー戦略のため、05年からバイオ・エタノール使用に補助金と使用義務を課し、それらを増加させてきた。08年のバイオ・エタノール混合業者への補助金は0.51ドル/ガロン、輸入税は0.54ドル/ガロンである。使用義務は、2022年までにトウモロコシからのバイオ・エタノールで150億ガロンになっている。この使用義務はアメリカのバイオ・エタノール生産量を2倍以上に増加させなければならない量で、トウモロコシの生産量が十分に増えないと、その輸出量の激減とトウモロコシをはじめとする穀物価格の急騰をもたらす。

 このようなアメリカのエネルギー戦略が世界穀物価格の急騰をもたらし、自動車の燃料と途上諸国の飢餓人口の食料とのトレードオフという倫理問題を引き起こした。つまり、9億人の飢餓人口を前にして、膨大な食料を燃やして自動車を走らせ、世界穀物価格の急騰を引き起こすことが許されるかということである。

 アメリカのバイオ・エタノール生産量の急増は穀物価格の急騰のかなりを説明すると考えられるが、これまでの研究ではまだどれほどかは分からない。ある論文は(ミッチェル:Michell, 2008)1)、世界穀物価格の急騰の60〜65%がバイオ燃料生産の急増、投機、輸出制限によっており、20%がドルの減価、15〜20%は原油価格の急騰による生産費と輸送費の増加によるとしている。筆者はアメリカのバイオ・エタノールの影響を推計する方法を現段階で見出すことができないので、その他の短期要因の影響度を推計し、バイオ・エタノールの影響は残差として求めることにする。


(2)BRICsの穀物輸入急増、主要穀物輸出国の穀物輸出規制、穀物の凶作

 ブラジル、ロシア、インド、中国はその経済成長の非常な速さと人口規模から、穀物輸入も急増してきたと考えられてきた。しかし、これは事実に反する。図2は、BRICs合計の穀物純輸出量が1981年にはマイナス6000万トン強であったのが、80年代に増加に転じ、2001年から純輸出国群になっていることを示す。したがって、07年からの世界穀物価格の急騰にBRICsの穀物輸入の急増が影響したとはいえないのである。

図2 BRICsの穀物純輸出量(1961-2010)
図2 BRICsの穀物純輸出量(1961-2010)
出所:FAO Datasetによる。2007年以降はFAO Forcastsによる。1992年以前のロシアの欄には旧ソ連を対象としたFAOのデータを連結している。

 FAOの最近の報告書2)によれば、2007年からの穀物価格急騰に対して、穀物輸出制限措置を執った国は24か国になる。そのうち主要穀物輸出国は、中国、インド、タイ、ベトナム、アルゼンチン、ブラジル、ロシア、ウクライナである。穀物の大凶作も07年前後にオーストラリア、東ヨーロッパ、南アメリカで発生している。穀物の凶作や輸出制限は、世界の生産量と輸出量を減らすはずである。しかし、FAOのデータによれば図3が示すように、世界の穀物生産量と輸出量は、06年から08年にかけて増加している。FAOのデータが真実を反映していると仮定すれば、特定国の凶作や輸出制限は他の諸国の増産や輸出増で補われたと考えられる。

図3 世界の穀物生産量と輸出量(1990-2010)
図3 世界の穀物生産量と輸出量(1990-2010)
出所:FAO, Food Outlook June 2009とFAOSTAT。最近のFAOデータは、2009年の生産量と09/10年の貿易量は予測値。2008年の生産量と08/09年の貿易量は推計値。


(3)国際投機資金の影響

 2008年には、日本の商業誌、アメリカの学会と市場関係者の一部は、今回の穀物価格の急騰の主たる要因は、アメリカ発の禁輸危機による国際投機資金の商品先物市場への流入によるとしている。巨額の投機資金(2京(けい)円:京は兆の1万倍)の一部が、規模の小さい商品先物市場(コムギ・1.3兆円、トウモロコシ・2.8兆円、ダイズ・1.4兆円、原油・8.1兆円、金・2.3兆円、銅・3.2兆円)へ流入したとの仮説である。しかし、反対論者もいる。筆者はシカゴのトウモロコシ先物市場の投機量(大口投機建玉純買越額:Non-commercial Open Interest Net Position)がアメリカのトウモコロコシ輸出価格にどれだけ影響するかを回帰分析して53%という結果を得たので、国際投機資金の影響を50%とする3)


(4)ドルの減価

 2世紀前の貨幣数量説(貨幣の供給量と物価水準は比例するとの金融論の定理)は現在も妥当し、アメリカの経常貿易赤字の急増と金融危機に対する財政出動によって、連邦準備制度理事会(FRB)のドル供給量を示すワールドダラー(連邦準備銀行のベースマネーと外国のドル準備)は1兆ドルから4.5兆ドルに増え、ドルは減価し続けた。先の論文でミッチェルは過去の研究結果のいくつかを基礎に、ドル減価の穀物価格急騰に対する影響は20%程度とした。なお、著者は15%とする。


(5)原油価格の高騰による穀物生産費と輸送費の上昇

 原油価格の上昇は穀物生産費と輸送費を上昇させる。農務省の生産費調査や価格の地域間格差から、先の論文でミッチェルは、2000〜07年の期間でアメリカのコムギ、トウモロコシ、ダイズの生産費は11.5%上昇したとし、穀物輸送費も10.2%上昇したとする。著者は、2007〜08年の価格急騰への影響に限定して15%とする。


(6)結論

 以上から、食料危機による穀物価格急騰への影響は、国際投機資金の商品市場への流入が50%、原油価格の高騰による穀物生産費と輸送費の増加が15%、ドル減価が15%、アメリカのバイオ・エタノール利用の政策的急増が残余の20%となった。


3.世界穀物需給逼迫への含意

 2007〜08年の世界食料危機の要因分析の結果は、穀物価格の急騰はその半分ほどが国際投機資金により引き起こされてきた。アメリカのドル供給の急増などにより国際投機資金は最近急拡大しており、今後も世界の穀物価格の変動はいっそう大きくなると考えられる。

 穀物価格の急騰をもたらした投機は、実はアメリカ発の世界金融危機を契機にしている。原油価格の上昇で穀物の生産費や輸送費が大きく上がるのは、広大なコーン・ベルトにおいて企業的な集約生産技術によって大量の穀物を生産し、世界へ輸出するアメリカ農業でとくに著しい。ドル価値の低下も、基軸通貨国であるアメリカのドル供給の野放図な拡大による。バイオ・エタノールの政策的強制増産と利用拡大はアメリカのエネルギー戦略である。まとめると、2007〜08年の世界食料危機はほとんど全てアメリカによって引き起こされたことになる。

 筆者は戦後の世界食料市場の展開は、アメリカを盟主とする寡占的食料輸出国・地域が従属的食料輸入諸国の市場を席巻していく過程であると考える。図4は、筆者が世界を先進諸国(寡占的食料輸出国・地域)と発展途上諸国と日本を含むその他従属的輸入諸国に分け、両者の農畜産物純輸入額を1961年から2007年まで示したものである。この図は、正に寡占的食料輸出諸国・地域による、その他世界の席巻の過程を示している。

図4 寡占的食料輸出諸国・地域とアジア・アフリカ・非EU欧州諸国との農畜産物の純輸入額の推移(1961-2007)
図3 世界の穀物生産量と輸出量(1990-2010)
注: FAOデータから筆者作成。世界を北アメリカ、南アメリカ、オセアニア、EUの寡占的食料輸出諸国・地域と日本を含むアジア、アフリカ、非EU欧州諸国の食料輸入諸国に分け、両地域間の農畜産物の純輸入額の推移を示した。


 冒頭に述べたように、長期的には、人口爆発、世界人口の都市化、肉類消費の増大、世界の穀物在庫率の低下、穀物生産技術を示す単収増加率の低下、さらに水や土壌肥沃度の低下といった要因が、世界の食料需給を傾向的に逼迫させる。この「長期的な食料需給逼迫」と「アメリカを盟主とする食料輸出国・地域による、世界食料市場の寡占的支配と食料危機への意識的ないし無意識的荷担」に対抗して、日本国と日本人は「平地のみならず中山間地での農業生産の維持」、「農業生産の外部経済効果である食料自給率と食料安全保障の向上」、「里山や里海など原風景の保全」、「水源の涵養」、「環境と国土の保全」、「農林水産業とそのランドスケープのもたらす、いやしと教育効果の確保」、「農村社会とその文化の保全」を追求すべきである。

<参考文献>
1) Donald Michell, 2008. A Note on Rising Food Prices, PRWP 4682, Development Prospect Group, The World Bank, July 2008.
2) FAO, July 2008. Crop Prospects and Food Situation, No.3, pp. 6-21.
3) 辻井博、「世界食料危機とアメリカのバイオ・エタノール政策」、日本食品工学会『第10回年次大会講演要旨集』、p.10, 2009.
辻井博、「世界食料危機とアメリカのバイオ・エタノール政策の関係に関する研究」、『平成21年度石川県立大学年報』、pp.13-18, 2010.

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